東京五輪を“擬人化”して見えてきた「問題の本質」 なぜメディアは現実を伝えないのか?

『また東京五輪』。
スポーツ紙の見出しである。ぜんぶ読むと『また東京五輪大混乱 女性侮辱騒動』(サンスポ3月18日)。
なんかすごい。東京五輪が暴れん坊にみえてきた。「また(横山)やすし」とか「力道山また暴れる」みたいな。もう同じカテゴリーで考えたほうがいいんじゃないか? 私はトラブルが続くこのキャラを「東京五輪師匠」と呼びたい。擬人化すると見えてくることがあるのだ。
どんな不祥事をやらかしても大切にされる「東京五輪師匠」
たとえば2021年の今、漫才師・横山やすしが当時のままいたらどうだろう? 個人的にはワクワクしてしまうがテレビで見ることができるだろうか? コンプライアンスという言葉を聞きなれない30年以上も前に横山やすしはまさにコンプライアンスを問われていた。メディアはやすしを登場させないだろう。
ではと思う。
やすしと同じくらい東京五輪師匠は不祥事やトラブルが続いている。なのになぜ今もメディアの真ん中にいるのか。コンプライアンス重視の今、チヤホヤされているのか。横山やすしがアウトなら横山五輪だってダメだろうに。
東京五輪師匠には大手企業はじめ、新聞社がスポンサーになっている。テレビは「感動をありがとう」を期待している。首相はコロナに打ち勝った証としてやると言っている。バックがすごい。東京五輪師匠はどんな不祥事をやらかしても大切にされる。
「差別の祭典」でおこなわれていた「乗っ取り」
そうして皆で担ぐ大御所だが、漏れ伝わるその価値観は危うい。
組織委トップであった森喜朗氏の性差別発言に続き、今度は開閉会式の責任者である佐々木宏氏が芸人を動物として演じさせるプランを提案していた。週刊文春3月25日号が報じた。
これではもう「差別の祭典」である。あらゆる差別をなくそうと五輪憲章に掲げ、世界に発信する舞台なのに東京五輪師匠はピンときてない。
しかも文春の記事には佐々木宏氏がいつのまにか開閉会式の演出チームトップになっていた過程も書かれていた。こちらの衝撃も大きい。いや、むしろ乗っ取りがおこなわれていたと読める告発記事だったのである。
MIKIKO氏のプレゼンは好評だったのに…
時系列をおさらいしよう。五輪・パラリンピックの開閉会式の演出チームは2019年途中からは振付師のMIKIKO氏が実質的な責任者になった。しかしコロナ禍による大会の1年延期に伴い、
《今度は森氏の信頼が厚かった佐々木氏が五輪とパラの両方を見る形へと移行した。》(スポーツ報知3月19日)
まずこれに驚く。衝撃は次だ。
《MIKIKO氏については徐々にチームから排除される動きがあり、最終的に11月に辞意を申し出るに至ったと「文春オンライン」で明るみに出た。》
MIKIKO氏はPerfumeやBABYMETALの演出振付家であり、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の恋ダンスも手掛けた。時間が少ない中で完成させたIOCへの開幕1年前プレゼンは好評だったという。
しかし。
《佐々木氏による“クーデター”が始まっていく。》(週刊文春3月25日号)
『はしご外されたMIKIKO氏』(日刊スポーツ3月19日)
ここで出てきた名前は、やはりというべきか森喜朗氏とその仲間たちだった。
昭和オヤジスキーム「57年前の“三丁目の夕日”をもう一度」
昭和オヤジスキームがいつの間にか開会式でもトップに立っており、コロナを言い訳にした過程の不透明さ。
確かに森氏も佐々木氏も昭和からのやり手である。しかし今回あぶりだされたのは今まで成功してきたノリが、2021年の五輪や世界の潮流に決定的に合っていないことだった。その閉鎖性、差別性、古さ。
今まであの人たちが成功してきた裏に一緒にあった「膿」が可視化されたのである。
そもそも東京五輪師匠は最初からズレていた。
《最初に東京五輪を招致して失敗した都知事だった石原慎太郎も森と同様、その差別的発言が幾度も物議をかもしたが、2人が今回の五輪招致で夢見たのは1964年の東京五輪の高度成長だ。》(日刊スポーツコラム「政界地獄耳」2月19日)
三丁目の夕日をもう一度。
東京五輪師匠を支えたエラいおじさん達は多様性とか共生とかアスリートファーストより、57年前の夢よもう一度だった。寝言も古かった。
「LINEの情報漏れが怖い」という論点ずらし
そんな時代錯誤の東京五輪師匠だがメディアでは可愛がられている。今回の報道を受けても本質的な問いをテレビでは見かけない。聞こえてくるのはLINEの情報漏れが怖いとか、生きづらい世の中になってしまったとか。
一体何を言っているのだろう。あれは私的なLINEだろうか? 莫大な税金が注がれる超公のイベントに関するLINEではないか。
開会式チームの不透明な乗っ取りで感じたであろう従来からの権力おじさんの理不尽な圧、そして露呈する古い価値観。LINEだけでなく普段から乱れ咲いていたのだろう。五輪がこの状態のまま世界に発信されていいのかと告発者たちが考えたなら、あのLINE画像には公益性がある。
私たちのLINEの会話とごちゃまぜにする話ではないのだ。それなのにわざと論点をずらしているのか、それとも東京五輪師匠のヤバさを深掘りされたくないのか。報道番組の不自然さも気になる。
新聞は現実を伝えるべき
さらに私が興味があるのは「新聞」だ。
果たして新聞社にも今回の告発はあったのだろうか? もし文春だけに持ち込まれていたらマズい。新聞は東京五輪の恥部を率先して報道しないだろうと思われていたかもしれないからだ。
もし新聞社に持ち込まれたら、新聞は調べただろうか。意地悪だが大事な疑問。
最後に。
これだけトラブルや不祥事が続くと「呪われた五輪」というフレーズがよく使われる。でも五輪を呼んでお金が回るならと、古い価値観やスキームを重用してきたツケだ。
東京五輪師匠は呪われてなんかいない。今、起きていることはすべて必然である。新聞は現実を伝えるべきだ。スポンサーをやるのもいいがそれなら構造的な問題点を書くのも責任だと思うのですが。
(プチ鹿島)