水俣病公式確認65年 進まぬ国の調査 「地域外」未認定患者怒り

工場から海に排出されたメチル水銀が引き起こした水俣病は、1956年の公式確認から5月1日で65年となる。被害者救済に向けた取り組みが繰り返されてきたが、未認定患者1670人が国家賠償などを求める「ノーモア・ミナマタ訴訟」が熊本など三つの地裁で続く。被害の全容が分かっていないことも背景にあるが、国による調査は進んでいない。
原因企業「チッソ」の水俣工場(熊本県水俣市)から不知火(しらぬい)海を挟み対岸にある同県上天草市。国と県、チッソに1人当たり450万円の賠償を求めたノーモア訴訟の原告、本田征雄さん(77)は「半世紀も前に水銀に汚染された魚を食べたことをどう証明しろというのか。納得できない」と憤る。
未認定患者の救済を巡っては、「水俣病の最終解決を図る」として2009年に水俣病被害者救済特別措置法(特措法)が施行。水俣湾周辺水域の魚介類を多く食べた▽一定の感覚障害がある――などが認められれば一時金が支払われることになった。10~12年の期限内に申請した人のうち、不知火海沿岸では3万433人が一時金の支払い対象になり、チッソから1人210万円を受け取った。
一方で国は、特措法に基づき救済するか判断する際、熊本、鹿児島両県9市町の一定範囲を救済の「対象地域」に設定。この地域内に住んだことがある人以外には、汚染された魚介類の多食を自身で証明するよう求めるなど高いハードルを設けた。
救済対象地域から1キロ足らずの地区で育った本田さんも申請が認められなかった一人だ。幼い頃から、母が地元の水産会社に勤めていたこともあり、毎日のように魚を食べていた。水俣病患者に多くみられる、筋肉がこわばる「こむら返り」の症状も子供のころからあったというが、多食を証明できず救済を受けられなかった。「魚は海の中を動き回るのに(救済に)地域で差があっていいのか」。ノーモア訴訟原告の8割が対象地域外に住んでいた人たちで、医師に指摘されるまで体調不良の原因が水俣病と疑っていなかったケースもある。
被害の全容解明がカギ
司法に救済を求める動きがなくならない背景には、国による水俣病被害の全体像の把握が進まないことがある。特措法が「積極的かつ速やかに行い、その結果を公表する」と規定した不知火海沿岸住民の健康調査だが、環境省は実施の前提となる調査手法が開発中として、施行から約12年たった今も手つかずのままだ。
ノーモア訴訟原告団の元島市朗事務局長(66)は「被害の全容解明は、取り残された人々の救済だけでなく、水俣病の教訓を後世に引き継ぐためにも必要だ。健康調査が12年もたつのに実現しないのは国が水俣病の幕引きを図っているとしか思えない」と批判し、調査の早期実施を求めている。
調査手法を巡っては、水俣病の典型的な症状である感覚障害の有無を検知する脳磁計(MEG)と、聴覚や視覚の障害などを調べる磁気共鳴画像化装置(MRI)の検査を組み合わせることなどが研究されている。小泉進次郎環境相は27日の閣議後の記者会見で、こうした手法が健康調査に使えるか21年秋~22年秋をめどに判断する方針を示している。【西貴晴】
水俣病
チッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水に含まれたメチル水銀が魚介類に蓄積し、それを食べた人に発症した中毒性の神経疾患。1956年5月1日、工場の付属病院長が患者発生を水俣保健所に報告したことで公式確認された。国の公害病認定は68年9月26日。その後の裁判で被害を拡大させた国や熊本県の責任も確定した。