臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々の心理状態を分析する。今回は、3度目の発令となる緊急事態宣言について。
* * * 政府は4月21日、東京都、大阪府、兵庫県、京都府を対象に緊急事態宣言を発出する方針を固めた。東京都では3度目、4月25日から5月11日までになるらしい。聞こえてくる大方の声が「またか…」であるように、“緊急事態”という実感は乏しい。
12日からまん延防止重点措置が適用されている東京都では、人の流れが減った気がしない。至る所で人波が目立ってきている。夜になると駅周辺の路上や公園には、20時までになった時短要請により立ち飲みや飲み会をする人々が集まっているのを目にする。外とはいえ、要請が逆効果を生んでいると思うほどだ。
このまま行けば、新型コロナウイスルによる死者数は低いものの、感染が収束し立ち直るまでに最も時間がかかる先進国になってしまうのではないだろうか。長々と続いた緊急事態宣言に、それとの区別がよく分からないまん延防止重点措置。「感染症対策を」と言いながらGoToトラベルキャンペーンを行った政権には、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような対応だという批判の声が出ていたが、今度は緊急事態宣言を発令しながら、東京オリンピックパラリンリックの開催準備を進めている。“ダブルスタンダード(二重規範)”のような状態だ。
このような状況下で3度目の緊急事態を宣言されても、どれぐらい緊急なのか、正直なところ判断が難しい。緊急事態宣言の発出目安として、「ステージ4(爆発的感染拡大)を視野に」と言っているが、明確な線引きはされていない。医療が逼迫していると聞いても街には人が出ているし、政権や知事らの言葉や連日メディアで流される状況と肌で感じる感覚とのギャップは、どんどん大きくなっていく。どちらかと言えば、周りの様子や人々の行動の変化から、事態がどれくらい緊急性を帯びてきたのか判断しているようなものだ。
そもそも、「緊急事態」という言葉の定義があやふやという問題がある。緊急事態の範囲も規模も程度も明確なものがないのだ。そのため、緊急に対する度合いの判断は個人の主観に頼るしかない。同じ状況でも、恐怖や不安を強く感じる人にとっては緊急事態となるが、「自分は平気、大丈夫だろう」と思う人は緊急性を低く見積もることになる。
東京電力による緊急時の人間行動特性の研究によると、緊急事態とは、その状況の中にいる人間に、非日常性や結果の重大性、時間切迫性、予想外性、突発性、対処の当事者性のような性質の一部かすべてがあると自覚されている状態を指すという。現状では感染予防対策が日常的になり、ダラダラと続いたことで時間的切迫感が無くなっている。日々の感染者数の推移は見聞きしても、周囲に感染者や重症者がいないと、「自分が感染するかも」という予想外性や突発性、当事者性の意識も薄れてくる。緊急事態において“慣れ”は一番の敵になるのだ。
だからこそ今度の緊急事態宣言は、もっと効果的でより強い措置を取らなければ発令する意味がないだろう。どう行動を変えたらいいのか、変えなければならないのか。ピシッと気持ちが切り換えられる宣言であればいいのだが。