血に染まったアジア最後のフロンティア、ミャンマー。ヤンゴンで拘束された日本人ジャーナリストはいまだ解放されていない。
犠牲者は751人、拘留中の人は3431人(4月25日現在)。国軍系のテレビでは拘束者の写真が公開され、恐怖で国民を支配しようとする姿勢はエスカレートするばかりだ。
現状を打開するため、在日ミャンマー人ら約60人が集まった。クーデターから80日となった4月22日、向かったのは国際協力事業で知られる団体だった。
■なぜ日本財団なのか
公益財団法人・日本財団。1976年、ハンセン病の医療支援でミャンマー事業をスタートさせた。会長の笹川陽平氏もミャンマーの人たちと交流を重ねてきた。そんな縁で担うことになった役職がある。昨年11月、日本政府が派遣したミャンマー総選挙監視団の団長だ。
「選挙は非常に公正に行われ、国軍も結果を受け入れている」
選挙の後、笹川氏はメディアのインタビューに対して、そう答えた。自身のブログにもこう書いた。
<小生は日本政府の選挙監視団長として、ヤンゴン市内を中心に10カ所の投票所と一部開票状況を視察した。秩序よく公正に行われていた>
思い出してほしい。2月1日に非常事態宣言を発令し、クーデターによって全権を掌握した国軍の大義名分はこうだった。
「総選挙の不正についての問題が解決されない限りは、新たな国会を開くべきではない」
ことあるごとに、こう主張するクーデターグループ。それに対して、選挙の正当性を説くことができるのは笹川氏しかいない。いまこそ歴史の証人として発言してもらいたい。在日ミャンマー人たちの期待はもっともだ。
彼らが笹川会長に書いた要請文にはこうある。
<2020年総選挙の結果に対して、公正な選挙であることを記者会見して、公表すること>
日本財団のミャンマー事業担当者が要請文を受け取ったとき、笹川会長は韓国大使と面談をしていた。若者たちのシュプレヒコールは会長の耳に届いていただろうか。
クーデターの首謀者、ミンアウンフライン国軍最高司令官はASEAN首脳会議に出席した。議長声明に記された特使の派遣について、ミンアウンフライン氏は前向きな姿勢を示したという。
■国軍系英字紙の見出しに感じる「違和感」
ジャカルタ訪問を伝える国軍系英字紙の見出しは、<ミャンマーはASEAN憲章に基づき、ASEAN加盟国との緊密な協力関係を維持>だった。記事には、<討議では、ミャンマーの政治的変化、今後の作業プログラムなどについて詳しく説明した>とある。
4月24日の朝5時頃、ネピドーの空港を飛び立ち、午後10時45分頃に帰国した最高司令官。内戦前夜とも言われるミャンマーに、約18時間の「権力の空白」が生まれることをどう考えたか。もし恐れなかったとしたら、その余裕はどこからくるのか。
混迷を深めるミャンマー情勢。「ただ、家族そろって祖国で暮らしたかっただけだ」と、目を潤ませながら話す在日ミャンマー人にどう答えるか。笹川氏と日本財団に決断の時が迫っている。
尾崎 孝史:映像制作者、写真家