2015年2月20日未明、凍てつくような風が吹き付ける中で、中学1年生の少年は全裸で血にまみれ、息も絶え絶えに河川敷の草地を這っていた。口からは助けを求めるかすかな呼吸が漏れていたが、誰にも届くことはなかった。
少年の全身に刻まれた作業用カッターによる切創は43カ所に及び、そのうち首の周辺だけでも31カ所に達していた。無辜の少年はなぜ命を奪われたのか。事件の全貌をノンフィクションライター・石井光太氏による『 43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層 』(新潮社)より一部抜粋して、紹介する。(全2回の1回目/ #2 を読む)
◆◆◆
上村遼太=事件当時13歳。事件の被害者である。先輩たちの中でも特に剛を兄のように慕っていた。
千葉虎男(仮名)=事件当時18歳。事件の主犯格とされている。非行がもとで鑑別所に収容され、定時制高校の卒業が難しくなったことにより、似たような境遇の少年と遊んでいた。
多田剛(仮名)=事件当時17歳。高校を中退し、フリーターをしていた。遼太くんを「カミソン」と呼び、弟のように可愛がっていた。
清水星哉(仮名)=事件当時17歳。虎男と中高が同じ。お互いに酒を飲むことが好きで虎男と頻繁に会っていた。
虎男、剛、星哉は知人を介して遼太君と知り合い、親交を深めていた。ある日、虎男は酒を飲んだ勢いで遼太君に手を上げて、顔に怪我を負わせてしまう。これに怒った遼太君の学校の先輩とその兄である吉岡兄弟は、虎男が賽銭泥棒をして金を持っているのを知ると、遼太君に暴行したことを口実に、家に押しかけて、警察沙汰を引き起こす。この一件後、虎男は遼太君を逆恨みするようになった。2015年2月19日の夜、虎男は遼太君を夜中の多摩川の河川敷へと連れて行った。
「そういうのが調子に乗ってるって言ってんだよ!」
鈴木町駅近くのイトーヨーカドー川崎港町店の先に、港町公園がある。この十字路を右折したところに、味の素(もと)の工場などが並ぶ一本の小道が通っている。小道は京急大師線の鉄橋のトンネルにつながっていて、そこを抜けた100メートル先が多摩川の河川敷だ。
虎男たちが土手の前まで来た時、2月の冷たい風の中で川の水音が響いていた。虎男が足を止め、剛に言った。
「チャリを隠して、どっか行ってていいよ」
ヤキを入れるとなれば、遼太と仲の良い剛の存在は邪魔だ。剛はこれから起こることを予期し、自転車を河川敷にあった看板のわきに止めると、3人を残して逃げるようにその場から立ち去った。
虎男は遼太を引っぱるようにして土手を下りていった。そこは一辺40メートルの草地の三角地帯になっていた。その奥がコンクリートの護岸斜面だ。夜はまったく人影がなくなる場所だ。
虎男は草地で足を止めると、若宮八幡宮で奪った遼太の携帯電話を川に向かって投げ捨てた。吉岡兄弟に連絡されることを恐れたのだ。
そして遼太を護岸斜面までつれていくと、話をぶり返した。
「なんで吉岡兄弟にチクったんだよ!」
「すいません」
「すいませんじゃねえだろ!」
遼太はひたすら謝って切り抜けようとした。星哉がその姿を見て口を挟んできた。
「そういうのが調子に乗ってるって言ってんだよ!」
虎男は遼太を護岸斜面に押し倒し、馬乗りになった。星哉に向かって言う。
「どうする、こいつ」
何発か殴りつけてやるつもりだった。しかし、この時、予期せぬことが起こる。星哉が黒いトートバッグに入っていた作業用カッターナイフを取り出し、差し出してきたのだ。かつて虎男が星哉を誘って引っ越しのバイトをした際に、仕事で必要だからとホームセンターで一緒に買ったものだった。グリップが紫色のオルファ製の作業用カッター。
遼太の首から血がほとばしった
「これ、つかえよ」
虎男は虚勢を張っていたこともあってカッターを受け取り、脅してやろうと刃を出して遼太の頬を、2、3回切りつけた。傷口から血がにじむ。虎男はさらにカッターを振りかざして腕と膝(ひざ)の上を1回ずつ切った。
遼太が傷口を押さえて痛そうに立ち上がる。虎男は、残酷にもこう命じた。
「おい、服に血がつくよ」
さらにカッターで切るという宣告だった。遼太は恐怖の余り逆らうことができず黙ってパーカーを脱ぎ、寒風が吹きつける中でタンクトップ1枚になった。震えるほどの寒さだったはずだ。
虎男はカッターを握り直し、そんな遼太の首を3回ほど切りつけた。遼太は「うっ」と叫んで、痛そうに顔をゆがめる。
虎男は遼太のタンクトップが血で赤く染まっているのを見て初めて、自分のしていることの重大さに気づいた。初めは痛めつけることが目的だった。だが、これだけの傷を負わせれば、警察に捕まるのは明らかだ。それに吉岡兄弟にだって半殺しにされる。
――もう殺すしかない。
そんな考えが脳裏をよぎったものの、そこまでできる自信がなかった。虎男は弱腰になり、星哉に向かってカッターを差し出した。
「なあ、やってくれよ」
星哉は切れ長の細い目を向けて言った。
「もうちょっと自分でやれ」
虎男は見下されたように感じたのか、カッターを握りしめ、遼太の首を切りつけた。遼太の首から血がほとばしったが、致命傷には至らない。
もう限界だとばかりに虎男は言った。
「やったぞ。替わって」
この時、虎男の本音は星哉に止めてもらいたかった。後の公判で、次のように語っている。
「殺そうと思ったけど実際はうまくできなかったです。途中で怖くなりました。カッターで刺す時に力はあまり入りませんでした。自分では首を切って殺すなんてできないと思い、星哉に『替わって』って頼みました。自分の代わりに切ってほしいというのと、止めてほしいという気持ちが半々くらいでした」
「(遼太は)裸で体育座りをしていました」
だが、星哉は引き留めるどころか、差し出されたカッターを受け取った。そして遼太の前に歩み寄ると、無言で首の右側を何度か切りつけた。遼太は黙って切られるままになっていたという。
星哉が再び虎男にカッターをもどしてきた。これ以上できない。虎男はそう思った。思いついたのは、剛にやらせようということだった。ポケットから携帯電話を出し、LINEで電話をかける。
「俺だよ。今どこにいんの? すぐもどってきて」
その頃、剛は近所のコンビニでおにぎりを2つ買って食べていたが、連絡を受けて「(暴行が)終わったかもしれない」と思い、走って多摩川へと向かった。
5分ほどして、土手のあたりから剛の「おーい」という声が聞こえてきた。暗くて3人の姿が見えなかったのだ。虎男は、「こっちだ!」と返事をして剛を護岸斜面に呼び寄せた。
剛は遼太を見て言葉を失った。次は、その時の衝撃を法廷で述べた言葉である。
「よく見ると、(遼太は)裸で体育座りをしていました。左側の頬、ふともも、腕から血が流れていてびっくりしました。いや、ものすごくびっくりしました。気持ち的にも見ることはできませんでした」
この時点で遼太は全身十カ所前後切られていた。剛が正視できずに呆然 (ぼうぜん)と立ちすくんでいると、星哉が口を開いた。
「川で泳がせれば」
川辺には凍りつくような風が吹きつけていた。気温は5.2度だったから、水は痛みを感じるほどの冷たさだったはずだ。
重傷を負った遼太を泳がせれば、おぼれて勝手に死ぬかもしれない。そうなれば、自分が手を下す必要もなくなる。
虎男は「いいね」とつぶやき、遼太に命じた。
「おい、泳いで」
「…………」
「泳げよ」
遼太は裸のまま川の中に入っていった。対岸までの川幅は、100メートル以上。体は冷水のせいでガタガタと震え、流されずに水に浸(つ)かっているので精いっぱいだったはずだ。きっとこれが終われば解放してもらえるという一縷(いちる)の希望にすがって耐えていたのだろう。
川に浮かぶ遼太の頭が時折見えなくなる
3人は護岸斜面から、暗い川の中を泳いでいる遼太を眺めていた。虎男が言った。
「なんか面白くね」
川辺に軽口が響く。剛が言う。
「あのままじゃ、おぼれるぞ」
川に浮かぶ遼太の頭が時折見えなくなる。
「反対岸まで行っちゃうよ」
剛が叫んだ。
「おーい、カミソン、もどってこい」
暗い川に声が響く。虎男も対岸へ逃げられたら困ると思って呼びかけた。
「もどってこい!」
波の影がゆっくりと近づいてきて、遼太が全身から水を滴(したた)らせて這い上がってきた。おそらくすでに低体温症に近い状態に陥っていたはずだ。
虎男は剛にカッターを差し出し、言い放った。
「おまえもやれよ」
切れ、と言われているのだとわかって当惑した。
「で、できないよ」
「やれっつってんだろ!」
「無理だよ!」
「ふざけんな、やれ」
何度か押し問答をしていると、虎男が激昂して剛をその場に押し倒した。馬乗りになり、血に染まったカッターの刃先を首につきつけて叫ぶ。
「やれって言ってんだろ。やらなきゃ、おまえも切るぞ!」
剛は、カッターを握る虎男の腕をすんでのところで押さえた。
そんな2人の間に、星哉が割って入った。
「やめとけよ」
仲間割れしている場合ではないと忠告したのだ。
虎男はカッターを持つ手を下げて離れると、立ち上がった剛に言った。
「時間見せて」
剛が自分の携帯電話を差し出す。すると、虎男はそれを奪い取り、自分のポケットに突っ込んだ。そしてもう一度カッターを突き出した。
「ほら、やれよ」
【続きを読む】 《川崎中1男子殺人》「刃先が肉を裂き、“うっ”と声を上げて前かがみに…」43カ所切りつけ殺害した少年が、事件後に送った一通の“メッセージ”
《川崎中1男子殺人》「刃先が肉を裂き、“うっ”と声を上げて前かがみに…」43カ所切りつけ殺害した少年が、事件後に送った一通の“メッセージ” へ続く
(石井 光太)