【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実】#31
早貴被告が住んでいた「抜弁天」は歌舞伎町まで徒歩15分程度という場所で、地下鉄が通って道路も新しくなり、すっかり便利になった。仕事でも移動は自家用車の私は、新宿方向から飯田橋方面や早稲田方面に向かう際に通ることが多かった。
「家賃は高いでしょ」
「高いですけど、姉と一緒に住んでいますから」
「あのね、お姉さんは看護師さんで、早貴さんはモデルさんというワケや」
野崎幸助さんが会話に割り込んできた。彼は亡くなるまで早貴被告のことをちゃん付けせずにさん付けで呼んでいた。
「あの女」
そう呼ぶのは愚痴を言うときだった。
看護師さんがどのくらい給料をもらうのか分からないが、新宿区内のど真ん中のマンションに姉妹で暮らすことはできるのだろうか? 以前にドン・ファンから早貴の住所を聞いてすぐにグーグルマップで確認をしたが、ワンルームでも15万円ぐらいはしそうな物件だった。2人が住む間取りとなると、そう簡単には暮らせないだろう。
「モデルさんなの?」
ドン・ファンの妹のHさんが聞いた。
「ええ、中国の会社に登録していて、ファッションショーなどで中国や中東に行っているんです」
「すごいわね~」
Hさんはお世辞ではなく本当に信じ切っているようだった。素直な人柄がよく分かる。
「社長、今夜は妹さんもこのホテルに泊めてやればいいじゃないですか」
話が弾んでいたので、足の不自由な妹さんが夕方のラッシュで横浜まで帰宅するのは大変だと思った。横浜といっても西の外れなので、乗り換えが何回もあるから大変だ。
「そんなのいいわよ」
Hさんは手を振って固辞する。
「社長、そうしなさいよ」
社長にすれば妹さんの宿泊代なんて小銭だろうが、クビを縦に振ることはなかった。「戻るから」と立ち上がって、部屋に向かった。
「あの時の提案はうれしかったけれど、兄はウンと言わなかったわよね。あんな人なのよ」
「杖をついて帰るって大変だったでしょ」
「ええ、大変だったから最寄りの駅からタクシーを使ったわ」
ドン・ファンが亡くなった後で会った妹さんが六本木の夜の話になって苦笑した。
「生きた金の使い方を知らない人だったからなあ。愛人にはバンバン金を使うクセに」
「そうそう。でもそれが兄の生きがいだったから」
(吉田隆/記者、ジャーナリスト)