【皇室のトリビア】#38
先の自民党総裁選で高市早苗候補(現・政調会長)が皇室継承問題について、「男系男子の維持」とともに「旧宮家の復活」を掲げたことで、「旧宮家って何?」となっている。
旧宮家というと、平安朝のようにみやびな宮廷の中で天皇のそばで仕える人たちを連想するが、江戸時代、天皇も宮家もそれほど優雅ではなかった。当時、天皇家は「禁裏十万石」といわれたが、実際は3万石ぐらいだったから、地方にある小大名ぐらいの収入だったはずである。
天皇は日常の食事も節約しなければならないほどつつましやかで、即位しても即位礼ができなかったこともあったという。
天皇の周りには親王家といわれる宮家が4家あったが、彼らも経済状況は天皇家と同じで苦しかったようだ。例えばそのひとつに伏見宮家がある。
600年ほど前の室町時代に天皇家から分かれた宮家で、戦後、皇籍離脱した11宮家は、血のつながりでいえば、すべてこの伏見宮の子孫である。
それはさておき、貧乏人の子だくさんではないが、江戸時代は宮家といえども子供がたくさん生まれると経済的に困窮した。天皇家も宮家も、子供が増えると姓を与えて降下させたり、得度させて、寺院の門主にさせることが多かった。
要するに、養いきれないので子供を坊主にしたのである。寺院にすれば、天皇の血を継ぐ皇胤がいることで名誉になるし、宮家にすればお寺から経済的なサポートが受けられるというわけだ。
幕末の伏見宮家もそうだった。当主に30人以上の子供がいたから大変だっただろう。この子供たちを京の寺院の門主にしたのだが、明治維新が成って皇室の天下になると、オレたちの天下だといわんばかりに、出家先から還俗して次々と新たに宮家を立てたのである。つまり、坊主から親王になったというわけだ。
明治政府も親王家4家だけでは心細いから「1代だけならいいよ」と認めたのだが、尊王の明治政府が安定してくると「ずっと宮家でもいいよ」となった。こうして伏見宮の系統だけが残ったというわけだ(小田部雄次著の「皇族」参照)。つまり、旧宮家というのは、そういうものなのだが、安倍前首相や高市政調会長ら守旧派勢力はなぜか、この旧宮家の復活にこだわり、女性宮家創設や女系天皇制には強く反対している。
「男系男子」にこだわる安倍元首相は「私たちの先祖が紡いできた歴史が、1つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室だろう」(「文藝春秋」2012年2月号)と述べている。要は、「過去に女系天皇は一人も存在しなかった」から、伝統を変えるなというわけである。最近では「男性にしかない性染色体のYを、千数百年にわたって引き継いでいるのは日本以外にない」というように遺伝子継承を主張する意見もある。
前者は、「男系男子」は世界でもまれな制度だから守れといってるように聞こえる。しかし「男系男子」を守れというのは歌舞伎の伝統を守れとは違う。一夫一妻制の少子化の現代にあって、天皇家だけにそれを強要するのは酷だし無理というものだろう。後者のY染色体を守れなんて、まるで天皇には特殊なDNAが流れているかのように聞こえる。天皇家も初代はその他大勢のひとつであったはずで、歴史的な流れの中で現在の天皇になっていったのだ。特別なY染色体があったからではない。
「縦糸」とか「千数百年の伝統」を唱える守旧派の考え方は、現実離れしているというしかない。
まさか彼らは「神武天皇のY染色体を継承できるのは男系男子だけ」なんて、本気でそう思っているのだろうか。(つづく)