10月31日投開票の衆院選で、無所属から立憲民主党に転じた中村喜四郎氏は茨城7区で敗れ、選挙区での連勝が「14」で止まった。一夜明けた1日、読売新聞の取材に応じ、比例選での復活当選について「(7区の当選者との得票差を)僅差にしてくれた支持者に感謝している。これまでとは違った重みのある比例復活だ」と語った。
選挙区敗退が確実となった31日午後10時10分頃、中村氏は自宅に近い茨城県境町の事務所に姿を見せた。「皆さんの懸命の支援を受けながら、結果を出せなかった」。深々と頭を下げた。
野党への転身は保守層の動揺を招いた。後援会幹部は選挙戦で「中村は今も保守」と古くからの支援者に説明。中村氏も「自民党が憎いわけではない」と訴え、街頭演説は過去最多の207回に上った。
過去3回の衆院選と異なり、公明党の推薦も得られなかった。共産党県委員会の支援を得たが、支援者離れの懸念は現実となった。
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「無敗の男」と称された。27歳だった1976年、無所属で初当選し、自民党に入った。科学技術庁長官として戦後生まれでは初の閣僚となり、43歳で建設相に。将来の首相と期待された。
ゼネコン汚職事件で94年に離党。逮捕・起訴された後も、無所属で当選を重ねた。実刑判決の確定で2003年に失職したが、刑期が明けて公民権が復活すると、05年に無所属で出馬して国政に返り咲いた。公民権の停止期間を除き、衆院選では前回選まで、選挙区で勝ち続けてきた。
「刑務所から戻った私を地元の人たちは手を振って迎えてくれた。恩に報いるため、日本の再建に全力を尽くす」。昨年9月、立民に加わった。与野党伯仲を思い描き、「横暴になった自民党が変わってくれれば」と語っていた。
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衆院選で初めて敗戦の弁を述べた31日夜。「天が中村に与えた試練と受け止める。与野党伯仲と日本再建という目標は道半ばとなったが、前を向いて進んでいく」と強調した。
先頭に立って野党の結集と共闘を進めてきた。「私は負けたが着実に芽は出ている。この経験を生かしてこの道を極める。大きな流れにしていく」と語った。
自宅に併設した事務所には1日朝、後援会幹部が集まった。中村氏を囲み、今回の反省点や今後の取り組みを話し合ったという。