宝照院、ゆかりの地・太宰府へ 博多130年の歴史に幕

12月の大黒天福迎祭最後に
宝満修験を受け継ぐ福岡市博多区冷泉町の宝照院が太宰府市の宝満山のふもとに移転することになった。明治時代から地元に根付いていたが、12月の大黒天福迎祭を最後に130年の博多での歴史に幕を下ろし、ゆかりの地に戻る。
宝照院の起源は修験道の山だった宝満山で、明治になって糸島に下りてきた。1891(明治24)年に住民から請われて現在地に移転した。毎年8月に辻祈とうが町内であり、山伏姿の僧侶がホラ貝を鳴らし、火よけ、家内安全、無病息災を祈って歩いた。
師走恒例の大黒天福迎祭は2、3日に開かれ、天台宗の開祖・最澄の作といわれる大黒天像が開帳される。1931年には政治家の中野正剛も参拝したという記録がある。
73年に父の急死で職を引き継いだ大岡重實住職(75)は「教えを受ける前に先代が亡くなり、初めは試行錯誤だった」と振り返る。それでも京都、神奈川県小田原などで修行を積み、また博多祇園山笠にも参加するなどして地元になじんでいた。
檀家(だんか)を持たないため、サラリーマンをしたり、寺院に隣接する喫茶「タカラ」のマスターを務めたりしながら住職の役目を果たした。だが、老朽化で新築が必要となり、宝満山のふもとの太宰府市内山に新寺院を建立する。1年ほどかかる見込みだ。
大岡住職は「長年親しんだ博多を離れるのは寂しいが、大黒天福迎祭で盛大に最後を飾り、新しい出発をしたい」と語る。喫茶店で昼食を作り続けた妻ケイ子さん(74)も「お客様に愛されてここまでやって来られた」と感慨深げに話した。
博多最後の大黒天福迎祭は12月2日午後4時から3日午前0時。3日午前9時から午後5時。【松田幸三】