「家族が壊れる」 ヤングケアラーだった48歳 苦しみ乗り越えた軌跡

若年性認知症を患った母を突き飛ばす悪夢にうなされ、何度も跳び起きた――。子どもが家族の介護や世話を担う「ヤングケアラー」への支援が課題になる中、長野県御代田町のケアマネジャー、美斉津(みさいづ)康弘さん(48)が自身の体験について語る。中学生の頃から母の介護を担い、惨めな思いを味わった。「誰も助けてくれない」と社会を憎んだこともある。苦しみをどう乗り越えようとしてきたのか、耳を傾けた。【坂根真理】
穏やかで優しく自慢の母だった。異変に気がついたのは小学校5年生の時だ。鏡台に向かって、ブツブツと独り言をつぶやいていた。「何をしゃべっているの」。母は照れたり驚いたりする様子もなく、無表情のまま突っ立っていた。
姉と兄は結婚や進学で実家を離れ、当時は父と母の3人暮らし。日中、母が1人になってしまうのを避けるため、近所の伯母の家で4人で暮らした。伯母が食事や洗濯を引き受けたものの、父は帰りが遅く、美斉津さんが多くの世話を担った。
中学生になると、帰宅しても母の姿は無く、徘徊(はいかい)する母を探す日々。以前住んでいた自宅にいることが多く、鍵がかかった玄関ドアを「ガチャガチャ」と音を立てて開けようと必死になっていた。その手を引いて、夕暮れの道をとぼとぼと帰る自分を惨めに思った。母の顔もまた深い悲しみに満ちていた。
母はトイレの場所が分からなくなり、洗面台やゴミ箱の中で排せつをした。「自分がやらないと家族が壊れる」との思いで、涙を流しながら掃除をした。
友達にも周囲の大人にも恥ずかしくて相談できず、母の存在を隠すことばかり考えていた。「分かってもらえるはずがないし、分かってもらえなかった時のショックも怖いものがあるんです」
「もしかしたら夢なのではないか」。元気だった頃の母の面影を求めて、天気予報を知らせる電話番号に電話をすると、当時は呼び出し音が数コール鳴ったため、その音をスピーカーにして母に聞かせた。「もしもし、もしもし」。昔と変わらない母の姿にほっとした。呼び出し音を何度も何度も鳴らした。
「誰も助けてくれない」という思いが膨らみ、社会に対して憎しみを抱くように。「母が一番つらい思いをしている」と思うが、感情を抑えきれず暴力を振るってしまったこともある。涙を流す母を見て「僕は駄目な人間だ」と自分を責め続けた。大切な母を苦しめてしまう自分の弱い心や汚い心に毎日毎日向き合って生きていかねばならず、助けてくれない社会も、自分のことも嫌いになった。
そんな生活から解放されたのは高校に進学した時。母が入院したためだ。大学1年の時に母は病院で静かに息を引き取ったが、「見捨てた」という自責の念にさいなまれた。
母を突き飛ばした夢でうなされて跳び起きた。救いを求めて教会に通い、高齢者介護のボランティア活動をするようになった。
勤めていた会社が介護事業に参入したことがきっかけで、自ら訪問介護員の資格を取得し、介護の道へ進んだ。母への罪悪感、惨めな思いを克服するためには、同じような思いをして苦しんでいる高齢者や家族をサポートする仕事は「自分の使命」であり「天職」だと思えたからだ。その後ケアマネジャーとなり、高齢者や家族の声を丁寧に聞いて寄り添うようにしている。
あふれる熱意から生まれたサービスがある。買い物に困る高齢者を支援しようと、ウェブシステム「えんじょるの」を外部のシステムエンジニアの手を借りながら自力で開発。買い物を頼みたい高齢者と支援をしたい地域住民のマッチングサービスで、地元の社会福祉協議会も採用した。
地域の中に、家族のように助け合えるつながりを作ることを目指す。「ヤングケアラーがいたら、家を訪れたボランティアが話に寄り添うこともできます。地域の子どもが大人とつながることができますから」。地域から孤立した過去があるからこそ、地域のつながりの重要性が骨身に染みて分かる。
今年、ヤングケアラーだった自身の体験をテレビ番組で語った。「中学生の頃から始まった闘いがようやく終わった」と気持ちに整理がつくなど、少しずつ前を向けるようになった。「お年寄りも子どもも困っている人を孤立させない社会を作りたいんです。それが、僕なりの母への償いなのだと思います」
SOSを拾う体制構築が急務
子どもが家族の介護や世話をする「ヤングケアラー」は、状況を周囲の大人や公的機関に相談できず地域の中で孤立しがちだ。世話や介護をすることは「当たり前のこと」だと思い、自身が困難を抱えていると認識しづらいという課題もある。SOSを出せない子どもの声を拾い、支援につなげる体制の構築が急務になっている。
長野県教委のヤングケアラー実態調査によると、世話をしている家族が「いる」と回答した高校生のうち、「世話をしているために、やりたいけれどできないこと」について、全日制は「特にない」が最多の約40%(複数回答、以下同)で、「宿題をする時間や勉強する時間が取れない」はわずか約11%。誰かに相談した経験が無かった高校生に理由を尋ねたところ、「誰かに相談するほどの悩みではない」との回答が全日制と定時制ともに最多だった。
県教委のスクールソーシャルワーカーとして学校現場でヤングケアラーに出会ってきた弓田香織さんは、県社会福祉士会が開催したヤングケアラーの研修会でこの調査結果について触れ、「誰に相談していいか分からない」「家族に対して偏見を持たれたくない」などと相談をためらう子どもの心理が表れた結果だとし、「大人が手伝えることや、支援に向けた手立てがあることを(子どもたちに)伝えていく必要がある」と語った。
県教委の調査はインターネットを使い、公立高校やその生徒を対象に9月に初めて実施。全日制で1万2036人(回答率29・6%)、定時制で338人(同20・4%)から回答を得た。「世話をしている家族がいる」と回答した生徒は全日制では2・1%、定時制では3・8%だった。いずれも、世話をしているのは「きょうだい」が最多で「祖父母」「父母」が続いた。