「大量殺人」計画拠点は電気も通らぬ「マイホーム」 大阪ビル放火

大阪市北区の雑居ビルに入るクリニックで男女25人が死亡した放火殺人事件は社会に衝撃を与えた。事件後に見えてきた問題や事件の詳細について取材した。
暮れも押し迫った12月17日午前10時18分、西日本有数の繁華街「北新地」(大阪市北区)で雑居ビル4階のクリニックから真っ赤な炎と黒煙が噴き出した。
出入り口周辺で逃げ惑う患者やスタッフ。黒いジャケット姿の男性だけは炎に向かい、助けを求める人に体当たりして院内の奥に追い込んでいた。
男性はこの直前、ガソリンを入れた二つの紙袋を両手に持ち、「西梅田こころとからだのクリニック」に入った。ポケットなどには刃物や催涙スプレーも隠し持っていたとされる。
紙袋の一つを傾けて液体を流し、ライターを近づけると炎が一気に上がる。避難を阻もうとしたのか、もう一つの紙袋は非常扉の方向に投げつけた。男性の来院からわずか数分。クリニックの防犯カメラが当時の一部始終を記録していた。
大阪府警によると、クリニック患者で現住建造物等放火と殺人の疑いを持たれているのは谷本盛雄容疑者(61)。全身やけどなどで重篤な状況が続き、動機は今も浮かんでいない。
谷本容疑者が「大量殺人」の計画をひそかに立てたとされる拠点に、単身で身を寄せたのは事件の約1カ月前だ。クリニックから西へ約3・5キロの大阪市西淀川区の3階建て民家。延べ約60平方メートルで、築30年以上の外壁は色あせている。
捜査関係者によると、民家には布団とカセットコンロがあり、クリニックで処方されたとされる睡眠薬の袋や空き缶が無造作に置かれていた。電気も通っていなかった。
2階一室を中心に異様な光景が広がっていた。「大量殺人」と手書きされたメモに、ナイフのさや、フルーツナイフの包装……。
少なくとも9カ月前の今春ごろから、事件の計画に動いたことがうかがえる物証も残されていた。地元アイドルグループのライブ中に徳島市内の雑居ビルで発生した放火殺人未遂事件を報じる3月15日付の新聞紙面。36人が死亡した「京都アニメーション」放火殺人事件をまねたとされ、ガソリンが悪用された事件だ。
理解者だった母の急死きっかけに家族と疎遠に
大阪湾に面し、町工場や住宅が密集する大阪市此花区。谷本容疑者は建築用の板金工場を営む両親の間に生まれ、4人きょうだいの次男として育った。短気な一面があったが、母親が寄り添い、高校卒業後は実家で板金工の腕を磨いた。七つ年上の兄(68)によると、谷本容疑者は20歳の頃、一番の理解者だった母親の急死をきっかけに家族と疎遠になった。
しかしこの数年後、谷本容疑者に転機が訪れる。看護師だった女性と結婚し、2人の息子にも恵まれる。そして、約1200万円のローンを組み、新築のマイホームとして手に入れたのが西淀川区の民家だった。
「仕事一本で、あれだけ腕のいい職人はなかなかいない」。谷本容疑者が2002年から働き出した板金工場の社長(78)は、1級建築板金技能士の国家資格を持つ正確な技術に驚かされた。最初はアルバイトとして雇ったが、2カ月で正社員に昇格。日当も1万2000円になった。人付き合いは得意ではなかったが、後輩からは「谷さん」と慕われた。
「愛想のいい夫婦でね。仲が良さそうだった」。マイホームの近くで酒屋を営んでいた男性(59)はこの頃、瓶ビールを配達した時の夫婦の様子を覚えている。
人生の絶頂期を過ごしたマイホーム。家族との思い出を残した地は、凄惨(せいさん)な事件の計画を重ねていたとされる「最終拠点」に様変わりしていた。【安元久美子、郡悠介、沼田亮、木島諒子、澤俊太郎】