鎌倉期に廃絶 西寺の姿明らかに 「北僧坊」東寺と同じ配置だった 京都

京都市は、平安時代初期に平安京の朱雀大路を挟んで世界遺産・東寺(同市南区)と対称に建てられ、鎌倉時代に廃絶した「西寺(さいじ)」跡(同区)の発掘調査結果を発表した。僧侶が寝泊まりする「北僧坊(そうぼう)」が、東寺とほぼ同じ位置に配されていたことが判明。従来は東寺より約4メートル北側にあったと考えられており、両寺の役割の解明につながる可能性がある。
市文化財保護課が発表した。2020年までの調査で、仏像を安置する須弥壇(しゅみだん)を置く「講堂」の大きさが、両寺で異なっていることが判明。両寺の役割の違いを探るため、北僧坊の位置に着目し、21年11~12月に発掘調査を実施した。
その結果、北僧坊の柱の土台となる礎石があった穴(直径1・5~1・8メートル)が5カ所見付かり、東寺とほぼ同じ位置にあったと判明。東寺は北僧坊の北側に、僧侶の従者などが生活した「北小子坊(しょうしぼう)」があったが、西寺は他の建物との位置関係などから、ないと考えられていた。今回の発掘結果により、西寺にも存在していた可能性が高まった。
また、講堂と北僧坊をつなぐ廊下の基壇(土台)が、三つの凝灰岩が重なった状態で見付かった。格式が高い建物で使われた基壇の形式とされ、市内の遺跡から見付かったのは初めてという。
市の担当者は、基壇の発見について「西寺の姿を立体的に捉える上で重要な成果だ」と指摘。そのうえで「今後も調査を続け、西寺と東寺の共通点や違いを明らかにしていきたい」としている。【添島香苗】