石破首相、トランプ米政権との関税交渉は「ゆっくり急ぐ」…本人は「名言」と自賛も、永田町では「迷言」との声

石破茂首相は2日、トランプ米政権との関税交渉を巡り「ゆっくり急ぐ」と説明した。新型コロナウイルス対策と経済活動との両立に苦闘した当時の菅義偉首相(衆院神奈川2区)が「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」と評した言葉に重なるが、石破首相は「これは『名言』だ」と自賛。永田町では「むしろ『迷言』じゃないのか?」(自民幹部)との皮肉な見方が広がっている。
「ゆっくり急ぐ」発言が飛び出したのは同日午前。2度目の訪米で閣僚級再協議に臨んだ赤沢亮正経済再生相の報告内容を官邸で記者団から問われた場だ。「赤沢担当相が6月中の合意に言及したが」との質問に、首相は「これは『名言』と言えば『名言』なのだが、『ゆっくり急ぐ』ということなのであって早ければ良いというものではない」などとかわした。
この発言が波紋を広げるのは政府として「6月合意にはこだわらない」との事実上の宣言となるから。7月には参院選があり、交渉や合意が月をまたぐことになれば、その同時進行内容が“政治の信”を問う重要な材料となるためだ。

万博リング、閉幕後に一部保存 協会合意、6月正式決定へ

大阪・関西万博を運営する日本国際博覧会協会は2日、会場シンボルの大屋根リングについて、閉幕後に一部を保存する方針で関係機関と合意した。協議のため大阪市で開かれた会合に出席後、横山英幸市長が記者団に明らかにした。協会は6月の理事会で正式決定する見通し。当初は解体して更地に戻す予定だったが、転換する。
大阪府市は会場の跡地活用策を公募し、民間事業者による2案を優秀提案として採用。1周2キロのリングについて、200メートル程度を残してモニュメントとして活用する案と、部材として活用する案が盛り込まれた。

米軍司令官、沖縄県庁を訪れての謝罪を拒む 米海兵隊員の性的暴行

沖縄本島中部の米軍基地内で米海兵隊員の男性(27)が基地従業員の女性に性的暴行をしたとして、不同意性交等などの罪で起訴された事件で、沖縄県の池田竹州(たけくに)副知事は2日、米軍キャンプ瑞慶覧(ずけらん)(北中城村など)で米海兵隊太平洋基地司令官のブライアン・ウォルフォード少将らと面会し、抗議した。県側は少将らを県庁に呼んで抗議しようとしたが、米軍側に拒まれた。
キャンプ瑞慶覧での面会は報道陣に非公開で、終了後、取材に応じた池田副知事によると、ウォルフォード少将は「県民に不安を与えた」として謝罪した。事件の有罪判決が出るか、判決が確定すれば、県庁を訪れて知事と面会する意向を示したという。池田副知事は「基地従業員の不安を取り除くために一日も早く責任者に抗議する必要があった。本来であれば県庁に来ていただきたいのが正直なところだ」と語った。
沖縄県内で米軍による重大な事件や事故が起きた場合はこれまで、米軍の司令官が判決を待たず県庁を訪れ、副知事に謝罪や説明をするケースが多かった。
2016年にうるま市で女性が米軍属の男性に殺害された事件では、在沖縄米軍トップの沖縄地域調整官が起訴前の段階で県庁を訪れ、謝罪した。米空軍兵が少女に性的暴行をしたとして起訴されたことが報道で明らかになった24年6月には、所属先の米軍嘉手納基地の司令官が県庁を訪れ、抗議を受けた。【比嘉洋】

〈西成・小学生7人重軽傷事故〉容疑者の父親の告白「お金に困っていた節はある。自殺未遂も」進学校に通ったサッカー少年が一転…借金、仕事、恋人、西成との接点とは

大阪市西成区の小学校付近で5月1日午後1時半過ぎ、下校中の児童7人に車で突っ込んで重軽傷を負わせ、殺人未遂で現行犯逮捕された矢沢勇希容疑者(28)=東京都東村山市=。都内の単身向け団地に住み、地の利のない大阪まで出向いての犯行の背景に何があるのか。関東近郊にある実家の父親が取材に応じた。
【画像】小学生7人に車で突っ込んだ矢沢容疑者の実家
「メンタルが弱いところがあったんだと思います」
関東近郊の実家は、玄関先が綺麗に整えられた門構えの家が建ち並ぶ住宅地にあった。記者がインターフォンを鳴らすと「はい」と言う返事の数秒後、緊張した面持ちで矢沢容疑者の父親が出てきた。
「在宅で仕事中だった」という父親は、押し寄せた報道各社に対して1時間以上もの取材に応じた。以下はその一問一答。
――勇希容疑者は大阪で犯行を起こしていますが、大阪には何か縁があったのでしょうか。
いいえ。大阪には親戚などもいませんし、家族で旅行などで行ったこともないし、たぶん本人も大阪はもちろん西成には行ったこともないと思います。
――なぜ、今回のような事件を起こしてしまったと思いますか。
それが正直…なぜという感じです。勇希はもともと思い詰める性格でした。2024年元日の深夜に自殺未遂を起こしているんです。東村山署から連絡があり、勇希が住む部屋に駆けつけました。
その時、「なぜこんなことをしたんだ」と言うよりかは「実家に戻ってくるか」と言いました。すると彼は「いい、大丈夫だ」と。
大人の男だし「どうしようもなくなる前に言うんだぞ」とだけ伝えて、その後も彼が2度と自殺未遂をしないように私や妻も3ヶ月に1回くらいのペースで生存確認をしに行ってたんです。
――お父さんが最後に会ったのはいつなんですか。
ちゃんと話をしたのは去年の夏に2人で食事に行った時のことです。その時は自分から話すわけではなく、私の方からの「仕事はどうだ、順調か」とか「飯は食えているのか」などの問いに対し、「大丈夫」「うん」などとは言っていたし、笑顔も見られました。
最後に会ったのは去年の冬です。妻と2人で団地の前で待っていた時に会ったんですが、深く何か話せたわけではありませんでした。
――ではいったい、勇希容疑者は何を思い詰めていたと思いますか。
本当にそれがわからない。とにかく思春期の頃から心情をあまり語らない子でした。
小学校の時は、とても明るく活発でサッカーをやってクラブチームにも入っていましたし、私も妻も車出しなどをして親子の交流も十分にしていたと思う。でも高校2年まで続けていたサッカーもやめて、妻が心療内科に付き添った時期がありました。
私は男親だからそういうのはあまりわからなかったけれど、メンタルが弱いところがあったんだと思います。
――幼少期はとても活発だったけど、高校からかげりが見えてきたということですか。
もともと生まれつき免疫不全の疾患があり、点滴で疾患を治療しながら暮らしていました。その治療のおかげかサッカーもずっと続けてこれた。
高校は自ら選んだ学校でしたが、地元の中学から1人しか行かないような進学校に進んだこともあり、もしかしたらそこで孤立したのかもしれない。その当時、家ではサッカーの顧問からいじられるのが嫌だとは話していました。
――例えば何かあったときに話ができる友達とか彼女の存在はあったのでしょうか。
小中のサッカー仲間とは仲よくしていたけど、高校以降の交友関係はあまり分かりません。大学や就職してからの交友関係もわからない。
彼女の存在は1度か2度ほど思春期の時に「彼女でもいないのか」と聞いたが何も答えなかった。だからそれ以降は何も聞いていませんでした。
「もしかしたらお金に困っていた節はあるかもしれません」
――あの団地に移り住んだのはいつのことなんですか。
大学を卒業し放射線技師として就職の決まった5年前のことです。職場の病院に近いからということで、自分で見つけて契約を結んだ部屋でした。もちろん保証人にもなっています。
――とはいえ報道では無職と報じられています。お父さんの認識では勇希容疑者は事故を起こすまで病院で勤務されていたということですか?
はい、そのように思っていました。でも、もしかしたらお金に困っていた節はあるかもしれません。
3年ほど前に大学に入る時に借りた奨学金の返済が滞っているという手紙が実家に届くようになりました。奨学金自体は数十万円を借りていて、月々の支払いも1万円もいかない程度でした。
そうした督促状が何度か届き、私の方から「お金を渡すからもう払ってしまうように」と言って数十万円渡しました。それで奨学金を払ったのかどうかもわかりませんし、他にも借金していた可能性もありますが、それはわかりません。
――自殺未遂を起こすまで、団地での単身生活でどのような変化があったのですか。
私たちが引っ越しを手伝って間もない頃は、部屋も綺麗に掃除をして身なりも整えていたのですが、2年ほど前からだんだんと無精髭を生やし、部屋も汚くなり痩せている様子がうかがえました。
妻は頻繁にLINEなどで連絡をしていたようでしたけど、それにも一言返事がある程度で「大丈夫だ」としか言わないような状態で、コミュニケーションは取れていませんでした。
――そういう変化が見られる中で「このままでは息子がどうにかなるのではないか」というような不安は感じなかったのですか。
もちろんそれは常に感じていました。だからこそ「もうどうにもならなくなる前に言いなさい」と言ってきた。
無理矢理家に引き戻すこともできたかもしれないが、本人は大人であるし尊重したつもりだった。それがこんな事件を起こすことになってしまったとは、お詫びしてもしきれません。
――「全てが嫌になったから、轢き殺そうと思って小学生の列に突っ込んだ」と供述している矢沢容疑者。父親は「普通に育てて、普通に大学を出て、普通に就職をして、それを喜んでいたのですが、こんな事をするなんて……。私はどうしたらいいのか、どうすればいいのでしょう?」そう言うと深々と頭を下げ、涙を流した。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

「過酷な現場、救助は最善尽くした」と消防救助方法の検証については「第三者による検証予定なし」埼玉・八潮市陥没事故

埼玉県八潮市の道路陥没事故で、転落したトラックの男性運転手とみられる遺体が発見されたことを受け、消防は2日、県の災害対策会議で、「過酷な現場だったので救助は最善を尽くしたものだった」と話しました。
今年1月、八潮市で道路が陥没してトラックが転落した事故で、消防などは2日朝、下水道管内にある運転席部分から運転手の男性(74)とみられる遺体を発見し、地上へと運び出しました。
発生当時、救助に当たった消防によりますと、男性運転手は、事故発生からおよそ3時間後、穴の上からの呼びかけに対して応答があったということですが、最終的におよそ3か月後になってこの男性とみられる遺体が見つかったことについて、消防の担当者は「最善を尽くした」と話しました。
草加八潮消防組合 南雲仁局長 「あれだけ過酷な現場であったので、私は(救助について)最善を尽くしたというふうに思っています」
消防の担当者は県の災害対策会議でこう述べたうえで、「我々の持っている資機材の全てを使っても、救助は困難だった」と話しました。
記者から「第三者による救助方法が適切だったか検証しないのか」と問われると、「第三者による検証は予定していない。消防内での検証は実施予定」としました。
警察は今後、遺体の身元の特定を進めるほか、残る運転席部分について、県は今後、重機を使って真上の穴から引き上げる方針です。

「NHK」党首・立花孝志氏が参院選兵庫選挙区から立候補表明…「兵庫県の問題もう一度説明」

政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏(57)は2日、東京都内で記者会見し、今夏の参院選兵庫選挙区(改選定数3)に立候補する意向を表明した。
立花氏は昨年11月の兵庫県知事選に立候補し、当選を目的にせず、再選された斎藤元彦知事を応援する「2馬力選挙」を展開した。会見では「兵庫県の(内部告発を巡る)問題について、前回の県知事選で一定の事実が隠された。もう一度説明をしていく」と述べた。

吉村大阪府知事 万博リング南側約600メートル分について新たな意向 「今の形のまま残すべき」

大阪・関西万博のシンボル「大屋根リング」について、万博協会は2日、閉幕後の活用方法として約1割にあたる200メートルほどを残す方向で調整していることを明らかにしました。
また、リング南側の約600メートル分については、吉村洋文・大阪府知事が「今の形のまま残すべき」という意向を新たに示しました。
「大屋根リング」は高さが12メートルから20メートル、一周約2キロメートルの世界最大の木造建築物で、大阪・関西万博の「シンボル」として親しまれています。
このリングをめぐり国や大阪府・市、万博協会、経済界は2日会合を開き、万博閉幕後の活用方法について協議。
リングの約1割にあたる北東部分約200メートルを保存し、残りの部分は可能な限りリユース・リサイクルを図る方針を確認したということです。
約200メートル部分の保存方法については人が立ち入れない「モニュメント」として残すのか、今ある形のまま残すのかで意見が分かれたといい、6月下旬に開かれる万博協会の理事会で正式に方針が決定される予定です。
また、大阪府の吉村知事はリング南側の約600メートル部分について、「いまの形のまま残すべき」とする案を新たに示しました。
ただ、リング南側では万博閉幕後に埋め立て工事が実施され、新たな開発が進むまでに約10年間を要すると考えられていて、その間のリングの改修と(約10年間の)維持には少なくとも17億円がかかると試算されています。
この試算も踏まえて約600メートル部分を残す場合の管理主体や財源についてさらに協議が進められる予定ですが、国や経済界は「リングの保存にかかる費用をこれ以上負担するつもりはない」とする意向を示していて実現のハードルは高いとみられます。

下水道管内の確認作業が終了 埼玉陥没、捜索本格化へ

埼玉県八潮市で県道が陥没しトラックが転落した事故で、県は1日、不明となっている70代男性運転手が取り残されているとみられる下水道管内の状況を確認する作業を行い、約2時間で終了した。流れ込む下水の量や有毒な硫化水素の濃度を調べるのが目的で、安全を確認した段階で警察や消防が管内部に入り、男性の捜索を本格化させる方針。
1日未明、硫黄のような臭いが立ちこめる中、警察官や消防隊員の計約20人が車で現場に到着。緊張した面持ちで防護服やヘルメットを身に着け、確認作業に取り組んだ。
県によると、トラックの運転席部分は陥没地点より約30メートル下流にある地中の下水道管内に残されており、男性はこの中にいるとみられる。
陥没事故は1月28日に発生。県は4月24日、捜索の妨げとなっていた大量の下水を迂回させるバイパス工事を完了。消防などが下水道管内に入るため、陥没した穴から運転席部分へとつながるルートを掘削工事で整備。さらに重機などで運転席部分を引き上げるため、地面から垂直に延びるルートも確保した。

「食事に出されたミカンを細工した」A級戦犯容疑者として収監され…岸信介が獄中でみせていた“意外な姿”

元首相の岸信介(1896~1987)は東條内閣の商工大臣であったことからA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監された。3年3ヶ月におよぶ勾留の後、不起訴処分となり、1948年12月24日、釈放される。長女の洋子氏は外相などを務めた安倍晋太郎夫人。安倍晋三元首相の母でもある。洋子氏が、娘から見た父の意外な一面を明かす。
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父の遺品に、手のひらに乗る蓋つきの小箱がございます。一見、陶器で出来た、お茶入れのように見えますが、実はみかんの皮で作られたもの。底に「信介作 鴨獄」とありますように、父が自らの手で、監視の目を盗んで、巣鴨の獄にて作ったものです。
なんでも散歩の時間に、庭の片隅でガラスの破片を見つけ、こっそりと房へ、持ち帰ったのだとか。それを刀の代わりにして、食事に出されたみかんを細工したのだと聞いております。
まず、ヘタから1センチほど下を水平に切り、内側を綺麗にくり抜く。次に紙をちぎって水に浸したものを幾重にも貼り付けていったそうです。食事の際、ご飯粒を少しずつ残して、それを練り潰したものを糊にしまして。
もちろん、それまで家でこのようなものをこしらえた事などございません。器用な父ではないと思っておりましたのに、つくづく、よく考えついたものだと思います。それにしても、明日には死刑が確定するかもしれないという日々の中、みかんの皮で小箱を4つ、5つと人目を忍んで作る、当時の父の心中とはどのようなものだったのでしょうか。
網越しに父と向かい合った
私たち一家が激しくなる戦火を避けて、疎開し、終戦の日を迎えましたのは、父の故郷、山口県熊毛郡田布施町(たぶせちょう)でした。父が戦犯容疑者として逮捕されたのが翌、9月半ば。これが今生の別れかもしれない。そんな悲壮な思いで後姿を見送りました。
山口から、横浜刑務所へ、次に大森の旧陸軍捕虜収容所、さらには巣鴨プリズンへ。父は移送されてゆきました。
まだ大森におりました頃は、制限が少なく、父の大好きな碁や、書道のお道具など差し入れることが出来ました。父は、常に何かを学び、少しでも向上しようとする人で、その点は獄中においても変わりません。本も借りられるだけ借り、英語の小説なども読んでいたそうです。
しかし、次第に制限が厳しくなり、最低限の生活必需品しか差し入れも許されなくなってゆきました。はじめは巻紙に墨跡も鮮やかだった父からの手紙も、ざら紙に鉛筆書きとなり、字数も厳しく制限されるようになります。
面会に参りましても、三重に張られた金網越しに、わずかな会話を交わすことしか出来ません。私は網越しに向かい合う父の姿を見て、思わず涙をこぼしました。
生きたものとしての務め
死刑になってしまうのか、それとも助かるのか。家族は一喜一憂しながら時を過ごし、心労が重なっていきました。しかし、獄中の人はなおさらのこと、日々、死の恐怖と向かい合わなくてはなりません。ノイローゼになってしまわれる方、自分の運命を嘆いて自暴自棄になってしまわれる方、虚無的になってしまわれる方と様々だったそうです。しかし、父はそんな中にあって、自分の運命は天に任せ、ある種、淡々と日々をやり過ごしていたようです。
実は敗戦の衝撃に私の兄が「国が負けた以上、生きていてもしかたがない。潔く死にたい」と申したことがあります。その時、普段は穏やかな父が声を荒げて、「死んでしまった方が楽でもあろう。しかし、生かされてここにある以上、どんな状況をも生き抜いて、生きたものとしての務めを果たすべきではないか」と叱責したことがございました。
父は決して主戦論者ではなかったと思いますが、公職にいたものとしての責任は感じておりましたし、戦犯容疑者となり、処刑されることも、早くから覚悟しておりましたようです。しかし、生きている限りは生かされた命を最大限に生きなければいけない、そんな考えを持っていたように思えます。生きるものは命の終わる間際まで、前向きに生きなくてはならない。そんな信念が獄においても自らの支えとなっていたのではないでしょうか。
みかんの小箱と、戦後の政界に身を置いた父の姿
みかんの皮で小箱を作り上げると、父は散歩の時間にひそかに持ち出して、東條英機さんや、元海軍大将の嶋田繁太郎さん、元陸軍中将の鈴木貞一さんらに、こっそり手渡し、側面に寄せ書きをしてもらっております。皆さん、つかの間の無聊(ぶりょう)の慰めとなったものでしょうか、どなたも、のびやかに筆をふるって下さって……。
父が不起訴となり3年3ヶ月の獄中生活を終えて釈放されましたのは、東條元首相らが処刑された翌日のことです。その後は公職追放も解かれて政界に復帰、敗戦国の日本をどう立て直していくかが政治家となった父の最大の課題となり、また使命ともなりました。
私には、みかんの小箱と戦後の政界に身を置いた父の姿とが重なって見えるのです。制限された状況の中でも、常に創意と工夫を図り、手に入るものを最大限に生かして、何かを根気強く造り上げていこうとする。この小箱には、父の精神の在り様が、すべて凝縮されているように思われ、私にとって、とりわけ忘れがたい形見となっております。
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このコラムは、いまなお輝き続ける「時代の顔」に迫った『 昭和100年の100人 リーダー篇 』に掲載されています。
(安倍 洋子/ノンフィクション出版)

京都・五条通の冠水で車水没、肩落とす男性「こんなことになるなんて…」

京都市の五条通(国道1号)の高倉交差点(下京区)で30日未明に発生した冠水は、老朽化した水道管からの漏水が原因とされ、現場では京都市上下水道局などによる復旧作業が続いた。付近の住宅では浸水被害も確認され、市内有数の幹線道路周辺は一時、騒然となった。
「川が流れるような音がし、車のエンジンルームが水につかった」
近くに住む50歳代の会社員男性は、住宅の半地下の駐車場内に水が入ってきた状況をそう振り返った。昼頃には水が引いたが、車庫内の溝などに入った泥を取り除く作業に追われ、「こんなことになるなんて……」と肩を落としていた。
市上下水道局によると、漏水した水道管(直径30センチ)は1959年に敷設され、新しい管に更新するため11月までに撤去する予定だった。同局が冠水後に調べたところ、約30センチ四方の穴が開いており、腐食した管が水圧に耐えられなかった可能性があるという。
断水はなかったが、五条通は西向き車線が通行規制され、一時渋滞が発生。周辺では冠水した路面を掃除したり、浸水した住宅から泥をかき出したりする住民の姿がみられた。
今年1月には埼玉県で下水道管の破損が原因とみられる陥没事故が起きており、近くの男性(73)は「埼玉のように大事にならないことを祈りたい」と話していた。