和歌山市で岸田文雄首相に爆発物が投げ込まれた事件は、昨年7月の安倍晋三元首相暗殺事件の「模倣犯」と考えて、ほぼ間違いないだろう。
犯人は黙秘しているようだが、インターネットで得た知識で武器を使用した犯行、警備が手薄な選挙遊説中を狙った点など、共通点が多い。
安倍氏へのテロ事件の際、犯人の家庭環境や動機ばかりに報道が集中し、「テロを許さない」という断固とした姿勢を示すのがおろそかになったことは否めない。それが、犯人に同情し「英雄扱い」する風潮につながり、今回の事件につながったとも言えそうだ。
いずれにしても、メディアは今回の事件を深刻に受け止め、深く反省する必要がある。これ以上の「模倣犯」を生まないためにも、3点の提案をしたい。
第1に、今度こそ、メディアはテロに対する毅然(きぜん)とした姿勢を明確に表明すべきだ。例えば、安倍氏が凶弾に倒れた7月8日に毎年、「テロは絶対に許さない」とのキャンペーンを展開してはどうか。それくらいの決意を示さないと、テロ頻発の流れを食い止められないのではないか。
第2に、犯人の家庭環境や境遇について、連日のようにテレビなどが取り上げることに、違和感を禁じ得ない。安倍氏の事件では、「不遇な境遇がテロに走らせた原因」といわんばかりの論評が行われたが、世の中には、もっと困難な環境でも、懸命に生きている人たちが多数いる。テロリストに同情の余地はない。
第3は、テロリストが起訴されるまでの間も、捜査当局の情報がメディアに提供される問題だ。テロ事件は他の事件と違い政治的影響が大きい。途中経過の情報が断片的に流され、事件に対する誤った「予断」が生まれる可能性がある。第一報の情報公開は必要だとしても、以降の情報管理は厳正に行うべきだ。
一部には、「政治が悪いのでテロが発生するのも無理はない」「テロが起きるのは政治家の責任。政治家が反省すべきだ」などとする論調がある。
だが、「理由があればテロも認められる」と言っているに等しく、極めて危険な考え方だ。いかなる理由があるにせよ、政治活動、言論活動を暴力で封殺することは絶対に許されない。テロを容認するような論調は慎むべきだ。
昭和の初期、5・15事件や2・26事件など、政治家へのテロ事件が頻発し、民主主義の衰退を招いた。テロに対して、断固とした姿勢を取ることができなかった。令和の世は、決して同じ轍を踏んではならない。
テロによって政治が良くなることはあり得ない。そのことを改めて確認したい。 (政治評論家)