「愛は勝つ」KANさん死去、61歳 今年3月にメッケル憩室がん公表で闘病も…SNSは7日に最後の投稿

「愛は勝つ」が大ヒットした歌手のKAN(かん、本名木村和=きむら・かん)さんが死去したことが17日、分かった。61歳。福岡市出身。葬儀はすでに親族とごく近しい人たちで済ませている。死因は明らかにされていないが、今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していた。

所属事務所も訃報を発表した。「今年『メッケル憩室癌』と診断され、3月より療養生活に入り、入退院を繰り返しながら活動再開に向けて治療に励んでいた10月には、留学したこともある想い出の地フランス・パリを訪れ、最後まで復帰への想いは途切れることはありませんでした」とKANさんの思いを伝えた。

昨年秋に数週間腹痛が継続したことから検査をしたところ、がんが判明。予定していたツアーを中止した。今年4月に再入院、5月に退院を報告していた。今月3日には一部楽曲のストリーミング配信を開始することを公式ホームページで発表。自身のSNSは7日まで更新されていた。ビートルズの「NOW AND THEN」のミュージックビデオの感想が最後の投稿となった。

04年からパーソナリティーを務めていたSTVラジオ「KANのロックボンソワ」は当初代打パーソナリティーを立てて週1回の放送を続けていたが、10月からは第1週のみの出演となることを発表。ただ、今月4日深夜の放送は、治療に専念するため欠席した。

小学生でクラシックピアノを習い始め、毎日3時間の練習が日課に。また、友人がきっかけで毎週日曜には教会で賛美歌を歌っていた。中学に入ると友人と4人編成のバンドを結成し、ビートルズの楽曲をコピーした。部活は当初軟式テニス部だったが、退部した後、ブラスバンド部に入部し、アルトサックスを吹いていた。

高校入学後にピアノによるオリジナル曲作りを開始。ロックバンドも結成した。法大に入学を機に81年に上京。再びバンド活動をし、コンテストに出場しはじめた事がきっかけで、デビュー。大林宣彦監督の映画「おかしなふたり」のサウンドトラック製作が初の仕事となった。

87年4月に「テレビの中に」でデビュー。90年7月に発売したアルバム「野球選手が夢だった」に収録された楽曲「愛は勝つ」が、大阪のラジオ局FM802で集中的にオンエアされて注目を集め、9月1日に通算6枚目のシングルとして発売された。

当初の生産枚数はわずか1万枚だったが、フジテレビの人気番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌として放送されたことがきっかけで大ヒット。オリコン週間ランキングで、8週連続で1位を獲得。200万枚超えのダブルミリオンとなった。91年の大みそかには、日本レコード大賞「ポップス・ロック部門」の大賞を受賞。NHK紅白歌合戦に初出場し、モーツァルト生誕200年記念で、モーツァルト風衣装で「愛は勝つ」を熱唱した。

99年には、97年の全国ツアーのサポートメンバーを務めたバイオリニストの早稲田桜子さんと結婚した。2001年から約3年間音楽活動を休業し、02年に「フランス人になりたい」とパリに移住した。現地では音楽学校に入学し、クラシックピアノを基礎から勉強し直した。04年に帰国し、再び国内での活動を再開した。

11年の東日本大震災後には、所属する事務所「アップフロント」グループが復興支援プロジェクトを立ち上げた。「愛は勝つ」をタレント131人で歌ったチャリティー曲を制作し、収益全額が寄付された。KANさんは、その中心人物だった。コロナ禍でも再び、KANさんほか同事務所のタレントで「愛は勝つ」をリモート歌唱した。♪心配ないからね、で始まり、♪信じることさ、必ず最後に愛は勝つ――の歌詞は、日本中に勇気を与え続けてきた。