「週刊新潮」に、作家の高山正之さんが外国にルーツがある人に「日本名を使うな」などとする差別的な内容のコラムを発表し、批判を受けて連載が打ち切られた。さらに、コラムで名指しされた作家の深沢潮さんが、新潮社との出版契約を解消する事態に発展している。 多くの人の目に触れる雑誌に、問題のコラムはなぜ掲載されたのか。出版契約解消を決めた理由はなんだったのか。また、社会やメディアは、差別的な表現にどう向き合い、対処すべきなのか。深沢さんと、メディアの現場に詳しい2人に話を聞いた。(共同通信=佐藤大介)
インタビューに答える作家の深沢潮さん
▽本質向き合わぬ姿勢に失望―作家の深沢潮さん
―新潮社からは、デビュー作「ハンサラン愛する人びと」(後に「縁を結うひと」に改題)などを出版していました。 「お世話になった出版界の老舗だけに、残念な気持ちです。しかし、問題が起きてから約2カ月のやりとりで、心身が消耗してしまいました」 「対外的には謝罪を表明しても、差別や人権侵害への認識についての見解は示さず、嵐が過ぎ去るのを待つような対応でした。本質的な部分に向き合おうとしない姿勢には、失望させられました」 ―問題となったコラムは連載終了となりました。 「なぜ終了したのか、誌面で読者に説明しなかったことで、あたかも私が圧力をかけたかのような印象を人々に与えました。判断の理由を示さなければ、攻撃の矢が私に向くことは容易に想像できたはずです。実際に『言論弾圧だ』と言われ、二次被害を受けた気持ちです」 「本来は、自分たちで問題の検証に当たるべきはずなのに、それをしようとしない。出版社としての責任を放棄しています」 ―コラムの内容に抗議し、記者会見を開きました。 「気に入らない人物を『外国人だ』として排除しようとする感覚は、差別が無意識のうちに社会へ広がっていることの表れです。差別がカジュアル化してしまっているのです。だからこそ黙ってはいられないと、記者会見することを決意しました」 「新たな攻撃を受ける心配もありましたが、作家など40人ほどの人たちが共感のコメントを寄せてくれたことは、とても大きな励みになりました。声を上げることで、問題を社会に投げかけることができたとも思います」
―コラムは交流サイト(SNS)で拡散されました。 「紙媒体しかない時代だったら、ここまで問題が大きくならなかったかもしれません。SNSが差別を助長するという問題もありますが、差別を可視化する役割があることにも気づかされました。それだけに、使い手のリテラシーが求められていると実感します」 ―今後の創作活動への影響は。 「今回の件で、作家を続けられるかと悩むこともありましたが、社会に訴えたことは後悔していません。差別や排外主義が広がる社会の風潮にあらがうことは、生きづらさから一歩抜け出すという作家としてのテーマとも重なります。決して諦めずに書き続けていきたいと思います」
◎週刊新潮の差別コラム問題 7月31日号の「週刊新潮」に、外国人の日本国籍取得を巡り、朝鮮半島にルーツのある深沢潮さんらを「日本名を使うな」などと攻撃する作家の高山正之さんのコラムが掲載された。深沢さんは記者会見を開いて新潮社に謝罪を要求。新潮社は「出版社として自らの力量不足と責任を痛感しております」とするコメントを公式サイトに掲載した。高山さんのコラムは、8月28日号で連載が終了。深沢さんは9月30日、新潮社との出版契約を解消した。
インタビューに答える梶原麻衣子さん
▽事実誤認、読者に不親切―ライター・梶原麻衣子さん
問題となったコラムを執筆した作家の高山正之さんは、朝日新聞批判が一貫したテーマでした。その中で深沢潮さんの名前を出したとのことですが、事実誤認や論理の飛躍が見受けられます。 深沢さんは、朝鮮半島に自らのルーツがあることを隠していませんし、そもそも、日本国籍を取得しているのに「日本名を名乗るな」というのは暴論でしかありません。コラム前段の国籍要件を厳しくせよとの主張と、後段の日本国籍を取得した人が日本社会でどういった発言をするかは、関係のない話です。 深沢さんが日本社会を批判していたとも書いていますが、具体的なことは何も示されていません。読者に対しても、極めて不親切な内容でした。 今回の問題を通して表面化したのは、雑誌メディアの「読まれ方の違い」です。 普段から高山さんのコラムを紙で読んでいる読者は「いつもの内容」との受け止めだったかもしれませんが、交流サイト(SNS)で批判的に拡散されたことで、多くの人にとってはよりショッキングな内容として映りました。週刊新潮の編集部も、想定以上の事態に発展したと感じているのではないでしょうか。 週刊誌の社会的な位置づけは、この10年で大きく変わりました。 以前はゴシップ的なメディアという見方が主流でしたが、著名人や政治家のスキャンダルを暴き、社会正義の実現を担うような存在としても見られるようになりました。それが、特定の主張を扱う保守系雑誌とは大きく異なる点です。そうなると、今回のような問題が起きたときに「うちは週刊誌ですから」では許されなくなります。 今回の件で最も問題なのは、意見の異なる人でも理解できるような説明がなされていないことです。高山さんは騒動の顛末を保守系月刊誌に書いていますが、従来の見解を述べるだけで、意見の異なる人が読んでその意図を把握するのは困難です。本来なら騒動を経て何らかの教訓が生まれるはずなのに、このままでは空中に消えて終わりという感じで、後味の悪さしか残りません。 説明をしても、相手は許さず、もしかしたらより腹を立てるかもしれません。しかし、少なくとも相手の考えていることは見えてきます。表現の内容によって、書き手と書かれた方、読者の認識にずれが生じた時には、掲載した出版社以上に書き手には説明責任があると思います。言論を扱う立場として、そこは逃げてはいけないのではないでしょうか。 × × かじわら・まいこ 1980年埼玉県生まれ、中央大学卒業。保守系月刊誌「WiLL」「Hanada」の編集部に計13年勤務して独立。著書に「『“右翼”雑誌』の舞台裏」。
インタビューに答える安田浩一さん
▽リアルな状況に学ぶ機会―ノンフィクションライター・安田浩一さん
私の理解では、問題となったコラムで高山正之さんが書いたのは「外国にルーツがある人間は日本社会に口を出すな」ということです。誰かを排除することで社会は成り立つ―という排外的な論理に連なるものであり、非常に醜悪なものを見た気がしました。 コラムは外国にルーツがある人に「日本名を使うな」と告げています。在日コリアンの人の通称名を、あたかも格闘技のリングネームのように捉えているのではないか。いかに通称名にすがらざるを得なかったか、という心情や歴史的背景を理解しようとしないのか、想像すらできないのか。 名前とは、それぞれの人が生き方を託す大切なものです。在日コリアンの人たちが本名ではなく通称名を使わざるを得なかったのは、そんな社会をつくり出した側、つまり日本社会の問題です。 私は差別の現場を長く取材してきました。ヘイトデモが最も激しかったのは2013~14年ごろ。街頭で特定の国を挙げて「死ね」「殺せ」と叫ぶ演説に、100人も200人も集まっていた。 それは今、だいぶ小規模になりましたが、差別や偏見が減ったわけではありません。もはや街頭での激しい言葉を必要としないほど、人々の内面に偏見が定着してしまったのかもしれない。むしろ背筋がぞくっとするのは、例えばスーパー銭湯で隣り合った若者が、あるいは酒場の主人が、おもむろに外国人差別を口にするような瞬間です。 差別や偏見が潜在化したからこそ、表に出た言葉がすぐにはヘイトと気づかないほどに、社会もメディアも感性がすり減っているのではないか。今回のコラムが日本を代表する週刊誌に掲載され、深沢潮さんが声を上げるまで問題にされなかったことも、一つの表れではないでしょうか。 かつての週刊誌には「敵とするのは強い権威や権力」という、小さくないプライドがありました。高山さんと週刊新潮がやったことは、抗弁するすべを持たないマイノリティーを相手に選んだ「絶対に勝てるけんか」のようなもの。めちゃくちゃ格好悪い。 差別は被害者を傷つけるだけではなく、社会や地域をも破壊します。マイノリティーの人たちは日本にずっといました。日本社会は今、きちんと対峙してこなかった差別というものに直面し、うろたえているように見えます。差別や偏見のリアルな状況を前に学ぶ機会を与えられているとも言えます。 × × やすだ・こういち 1964年静岡県生まれ。「ネットと愛国」で講談社ノンフィクション賞。「ルポ 外国人『隷属』労働者」で大宅壮一ノンフィクション賞。「地震と虐殺 1923―2024」で毎日出版文化賞特別賞。