神戸市須磨区で平成9年に起きた連続児童殺傷事件は今年で発生から25年となる。娘の彩花さん=当時(10)=を失った山下賢治さん(73)が産経新聞の取材に応じ「なぜ彩花が犠牲にならないといけなかったのか、いまだに答えがわからないままだ」と吐露した。今年は、事件後に講演活動などを通して命の尊さを訴え続けてきた妻の京子さんが亡くなって5年となる。山下さんは「改めて事件と向き合い、自分が何を伝えるべきか考えていきたい」と話す。
神戸市内の閑静な住宅街にある山下さんの自宅。彩花さんを失って25年、京子さんが亡くなってから愛猫モモとの生活も5年がたった。「家族の思い出のつまった家だから、ふと寂しさを感じることがある」。居間には黒いピアノが置かれている。いつもこのピアノで彩花さんと京子さんは連弾を楽しんでいた。事件のあの日もそうだった。
平成9年3月23日、彩花さんは命を奪われた。「娘を失い自分たち夫婦も死んでしまったような気持ちだった」。25年がたった今でもその気持ちは変わらない。仏壇に置かれた2人の写真はいつもほほえんでいる。彩花さんが手作りしたオルゴールも置かれ、友人らからもらった花束はドライフラワーにしてきれいに壁に掛けられている。
賢治さんが手にした1枚の絵には彩花さんが履いていた靴が一足描かれ、「あるいたり走ったりしておつかれ ガンバッテくれてありがとう」と添えられている。「身の回りの人にも物にも、自分の靴にさえ感謝の気持ちを込める優しい子だった。生きていれば、結婚して子供もいたかもしれない。どんなお母さんになっていたかな」とつぶやく。
京子さんは事件後、全国各地で彩花さんへの思いを語る講演を続けた。12年にがんが見つかった後もやめることはなかった。抗がん剤の副作用で体に影響が出ても演台に立ち続けた。
「自分の命を削りながら多くの人へ事件の悲劇を語り続けた本当にすごい人だ」。自宅には京子さんが残した講演資料が多く残されている。「あなたができることだけでいい。事件を伝えていってほしい」。自分に何ができるのか。京子さんが29年6月に61歳で息を引き取ってから考え続けているが、いまも答えは出ていない。
加害男性からは近年、手紙は届いていない。「なぜ彩花を狙ったのか。事件からどれほど時間がたっても、毎年3月を迎えるとその思いが頭を駆け巡る」という。
25年がたち、賢治さんは事件の風化を危惧する。彩花さんをしのんで母校の小学校に植えられた桜の木「彩花桜」が「在校生やその保護者へ事件のことを伝えるきっかけになればいい」と話す。
「絶対に加害者を許すことはない。逃げ続けて遺族を苦しめ続けるのではなく、自分の行いをきちんと説明しないといけない。『生かされている』と思って一生償って生きていってほしい」。賢治さんは静かに胸の内を語った。(鈴木源也)
「彩花の存在薄れない」
事件から25年がたち、賢治さんは産経新聞に手記を寄せた。全文は次の通り。
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最愛の娘・彩花が10歳でこの世を去って25年、彩花が生きた時間の倍の歳月が流れようとも彩花の存在が薄れることはなく、私たちの心にしっかりと根を下ろしています。事件後、想像を絶する絶望に陥りながらも、歩み続けることができたのは、妻・京子の存在が大きかったのですが、闘病の末、5年前に亡くなってからは、周囲の皆さまからたくさん支えていただきました。妻が事件から丸20年の時につづった手記の言葉は、今も私の胸に刻まれております。
「私たち家族が20年をかけて学んだのは、〝試練の中でこそ魂が磨かれ、人の幸せを願う深みのある優しさと、倒れても立ち上がろうとする真の強さが育まれる〟ということです。家族の絆もさらに強くなりました。それらは決してお金で買うことができない宝物であり、彩花が命をかけて教えてくれたことに他なりません。これからも、体験し学んだことを丁寧に社会にお返ししていくことが、私たちの役目だと思っております」
加害者の男性からの手紙は、2018(平成30)年から、届いておりません。被害者家族に対して償う気持ちがないのでしょうか? 私なりの方法で、今後も「償いと謝罪」を求めていきたいと思っております。
静かに彩花の命日を迎えさせて頂ければありがたく存じます。
2022(令和4)年3月 山下賢治