《旭川14歳少女イジメ凍死》「私は娘をセカンドレイプした世界で一番悪い母親かもしれない…」廣瀬爽彩さんが亡くなって1年 母親が語った“自責の念”と“葛藤” から続く
《卒業証書 廣瀬爽彩 平成十八年九月五日生 中学校の課程を卒業したことを証する 令和四年三月三十一日 北海道旭川市立X中学校長》
昨年2月13日に自宅から失踪し、翌月に北海道旭川市内の公園で凍った状態で発見された当時中学2年生の廣瀬爽彩(さあや)さん。今回、文春オンラインの取材でイジメを受けた後に転校した中学校から亡き爽彩さんに卒業証書が授与されていたことが判明した。
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校長らが自宅を訪問、たった一人の卒業式が行われた
文春オンラインでは、これまで爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受けて、昨年4月、旭川市教育委員会はイジメで重大な被害を受けた疑いがあるとして「重大事態」と認定。昨年5月に設置された第三者委員会はイジメの有無や爽彩さんが亡くなった因果関係などの再調査を行っており、今月末にも中間報告が公表される予定だ。
爽彩さんが天国へと旅立ってから1年――。生きていれば今年の春に中学校を卒業したはずだったが、爽彩さんの母が愛娘の未来へ羽ばたいていく姿を見届けることは叶わなかった。だが、今年の3月15日にX中学校の校長らが爽彩さんの自宅を訪問し、彼女の卒業証書を母親に手渡したという。
爽彩さんの母が時折、声を詰まらせながらも、胸中を明かした。
「爽彩が亡くなってから、月命日にはいつもX中学校の校長先生と教頭先生がお花をもって仏壇に手を合わせに来てくれていました。2月に校長先生から『来月が卒業式ですけど、爽彩ちゃんにも卒業証書をお渡ししたいです。教育委員会にも許可を取ってあります。お渡ししてもよろしいでしょうか』というお話をいただきました。学校での卒業式を終えた後、夕方頃に校長先生と教頭先生、そして当時の担任の先生が家に来てくれました。爽彩の仏壇の前で先生たちがお線香をあげたあと、前に座っていた校長先生が爽彩の遺影に向かって卒業証書を読み上げてくれました」
それは、たった一人の卒業式だった。読み上げられる校長の言葉に母親は涙が止まらなかった。
「爽彩にいてほしかった……。爽彩本人がいないから悲しくて、涙が止まりませんでした。娘がいなかったから感じてなかったんですけど、同級生の子たちはみんな受験を終えて次の進路が決まって、卒業していったんだなって。最初は進学校へ行きたいという希望を持っていた爽彩ですが、学校に行くことができなくなって勉強にもついていけないからと、高校はインターネットのプログラミングなんかを学べる高校に行きたいと言っていたのを思い出しました」(同前)
お母さんはご飯を食べてないんじゃないか、寝てないんじゃないか
爽彩さんは2019年4月から9月までY中学校に通ったが、イジメを受けた後にX中学校に転校した。
文春オンラインが爽彩さんの事件を初めて報じた2021年4月15日、X中学校では、体育館に学年ごとに生徒が集められ、「命の大切さを訴える会」が開かれた。その壇上で校長は爽彩さんが痛ましい最期を遂げたことの無念さを訴え、改めて「命の大切さ」について、生徒たちに真摯に語り掛けた。当時、校長は文春オンラインの取材にこう答えた。
「爽彩さんが亡くなったことを受けて、もう一度、命の大切さについて私のほうから生徒たちに伝えようと考えました。生徒たちも全員私のほうをちゃんと見て、真剣に聞いてくれていました。爽彩さんには、ただただご冥福をお祈りするしかないなと、本当に痛ましく悲しいことだなと受け止めています」
ウッペツ川への自殺未遂事件後、約3カ月の入院を経てX中学校に転校してきた爽彩さんだったが、PTSDによる後遺症に悩まされ、思うように学校に通えなかった。
「最初のほうは通学できていたのですが、やはりイジメによるフラッシュバックで同年代の子たちと接することが『怖い』と訴えて、登校の途中で帰って来てしまったりして、1カ月くらいで不登校となってしまいました。昨年2月に爽彩が失踪した時に私が探していると、X中学の担任の先生が『お母さんはご飯を食べていないんじゃないか、寝てないんじゃないか』と心配してくれて、手作りのおにぎりやサンドイッチを持ってきてくれたりしました。『僕が代わりに探しますから』と、授業の合間に倒れるまで爽彩のことを捜索してくれて、X中学校の先生たちには感謝しかありません」(爽彩さんの母)
娘が亡くなったという現実から目を背けてしまう
今回、X中学の校長は「卒業おめでとう」と仏壇の爽彩さんに語り掛けた後、爽彩さんの母にこんな話をしたという。
「校長先生からは『今日が1つの節目となりますが、爽彩ちゃんが卒業したからといって、うちの学校と爽彩ちゃん、お母さまとの縁が切れるわけではありませんので、何でも聞きたいことがあったら、またいつでも連絡をください』と声を掛けていただきました。当初、卒業証書を授与していただけると聞いたときは、正直、複雑な気持ちでした。本人もいないし、自分の中で娘が亡くなったという現実からは目を背けてしまうところがあり、イベントや行事があると、ふと爽彩がいないことを思い出して辛くなってしまうのです。いただいた卒業証書に卒業番号はありませんでしたが、卒業させていただけて先生たちの気持ちはとてもうれしかったです。本当にありがとうございました」(同前)
爽彩さんに卒業証書が授与された経緯についてX中学校に取材すると、教頭が次のように答えた。
「痛ましいことが起きて、弔意を示しご遺族に寄り添い、毎月のお参りをさせていただきたいということから始まりました。爽彩さんは本校の生徒で、ご存命であれば3年生まで本校に在籍して卒業を迎えるというところでしたが、本当に残念な思いですけども、3月を迎えたら証書を読ませていただきたいという思いを1年前からご遺族にお話しさせていただきました。あれから1年が経ち、本当にご冥福を切に願うという気持ちでお参りと卒業証書の授与をさせていただきました。校長が証書を読んでいるときは残念な思いと安らかに眠っていただきたいという気持ちでいっぱいでした」
一方、第三者委員会による調査は教職員、関係生徒、生徒らの聞き取りを終えて、中間報告が数日後に迫っている。爽彩さんが変わり果てた姿で見つかった3月23日から1年。仏壇の横には真新しい卒業証書が手向けられた。爽彩さんを追い詰めたものは何だったのか。仏壇で微笑む愛娘の遺影に向かって、すべてが明らかになった調査結果を爽彩さんの母が報告できる日はくるのだろうか。
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3月25日(金)21時~の「 文春オンラインTV 」では担当記者が本件について詳しく解説する。
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))