日露戦争当時に対露諜報・謀略活動に奔走し、日本統治下の台湾で第7代総督(陸軍大将)として鉄道など基幹インフラ整備の道を開いたことで知られる明石元二郎(1864~1919)の顕彰碑が出身地の福岡に建立された。日本の歴史や伝統の継承などに取り組む福岡県郷友連盟を中心に「郷土の偉人の業績を後世に伝えたい」と建立事業に乗り出し、福岡市東区の筥崎宮外苑に設置。23日に除幕式が開かれる。
明石は、日露戦争前から巨額の機密費を活用しながら欧州でロシア革命を扇動し、帝政ロシアを裏側から揺さぶり不安定化させた。その活躍は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」といった歴史小説で知られ、奉天会戦や日本海海戦の勝利とともに日露戦争勝利の三大要因とされた。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は「明石一人で20万人の日本軍に匹敵する戦果をあげた」とたたえたといわれる。
また、大正7(1918)年に日本統治下の台湾の第7代総督に就任。台湾の近代化のための基幹インフラ整備事業を企画立案し、台湾電力の創設や縦貫鉄道の建設整備、東西横断道路の建設、諸銀行の設立、教育制度の確立などにつながった。翌8年に急逝したが「余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護足らざるべからず」と言い残した。日本統治時代の台湾に派遣された総督の中で唯一、遺言で台湾に埋葬されることを望んだ人物で、それに感激した台湾の人たちが墓などを建立。今も台湾で多くの人たちの感謝と尊敬を受けるなど日台関係の礎を築いたといえる。
今回の顕彰碑の建立は、同連盟が令和元年、福岡で明石の没後100年に「百年祭」を開催した際、「台湾では立派なお墓や顕彰碑があるのに生誕の地の福岡に偉業を後世に伝えるものがない」「世界史に記録される業績がありながら郷土の福岡でも忘れられた存在」との声が上がり、建立の機運が高まったのがきっかけ。福岡の政財界の有志を共同代表発起人として建立費を募ったところ、目標の1千万円を超える資金が寄せられた。
建立地は複数の候補から筥崎宮外苑に決定した。田村邦明宮司によると顕彰碑を招くにあたり、明治天皇の御製「よもの海 みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらむ」(世界の人々は皆兄弟だと思っているのにどうして波風がたつのだろうか)が思い浮かんだという。
田村宮司は「明治天皇は最後まで日露開戦を避けようと、この御製を元勲らにお示しになったとお聞きしている。日露両国の人びとが一人でも命を落としてほしくないと思われていたと推察され、戦闘ではなく知恵と工夫で将兵の損害を極力防いだ明石さんの働きは明治天皇の願いを具現化したものと思わずにはいられない。顕彰碑が当宮に建立されることは名誉なことで、その偉業を末永く伝えていきたい」と話した。
23日の除幕式には、明石の孫、明石元紹さんも参列する予定で、同連盟の吉田邦雄会長は「郷土愛の萌芽(ほうが)は郷土史を学び、郷土が生んだ偉人のことを理解することに始まり、それは愛国心を高めることにつなもがる。郷土出身の明石元二郎の顕彰碑を通して福岡の人たちに郷土愛、愛国心を育んでもらいたい」と話している。(松岡達郎)