国際手配の7人逃さない 日本赤軍の空港銃乱射50年「事件終わらず」

50年前のきょう、1972(昭和47)年5月30日、イスラエルのロッド(現ベングリオン)国際空港で日本赤軍メンバー3人が自動小銃を乱射、約100人を殺傷する事件を起こした。世界を震撼させた日本赤軍を組織したのが、今月28日に出所した重信房子元最高幹部(76)。重信元最高幹部は逮捕され刑期も終えたが、現在も日本赤軍メンバー7人は逃亡したままだ。日本警察は再び手配犯を追い詰めることはできるのか。当時の関係者が思いを語った。
沸き上がった歓声
平成12年10月、大阪府警警備部長だった高橋清孝さん(65)は、大阪市西成区のマンションの一室に重信元最高幹部らしき女が潜伏しているとの報告を受けた。
「なぜ、大阪に」
昭和46年に中東に渡って以来、海外にいるとされていた重信元最高幹部。想定外の報告だった。逮捕容疑となるオランダのフランス大使館が武装占拠されたハーグ事件からそのときすでに26年。捜査員が秘撮した写真からはかつての面影はなく、確認作業を慎重に進めるよう指示した。
平成12年11月8日午前1時過ぎ、捜査員から、女が出したごみの空き缶の指紋が重信元最高幹部と一致したと連絡がきた。着手を命じ、同日午前10時半過ぎ、逮捕の連絡が入った。高橋さんが府警の幹部会議で逮捕を伝えると、「おーっ」という歓声と拍手が湧き上がった。
「本当に本人か」。一抹の不安もなかったわけではない。だが、東京へ移送される際に新大阪駅でメディアの前で親指を立てた姿をみて、「間違いない」と確信した。
意気投合した捜査員
日本赤軍の追跡は日本警察の最重要課題だったといえる。警察庁警備局公安3課内には、警視正をトップに日本赤軍の追跡を専門とした「調査官室」という部署が誕生。捜査員らは「赤軍ハンター」と呼ばれ、情報収集のために完全に秘匿された任務で世界中を走り回っていた。
大阪府警にも日本赤軍担当はいたが決して人数は多くなく、国内に的を絞り、地道な作業を繰り返していたという。高橋さんは「誰が見ているわけでもない中で、手を抜かずに任務を忠実に遂行したのは、警察官、公安マンとしての矜持(きょうじ)だったのだろう」と話す。
重信元最高幹部を逮捕し大手柄をあげた大阪府警。府警には警視庁から多くの捜査員が投入された。関係はどうだったのか。
高橋さんは、警視庁と府警の捜査員でペアを組ませて捜査に当たらせたといい、「互いに捜査員として力量が高く、認め合う部分が多くあった。全体のレベルアップにつながった」。
こんな話もある。警視庁から府警に行った捜査員に日本赤軍担当はほとんどおらず、「公安部各課の寄せ集め」(当時を知る捜査員)だったという。それゆえに「大阪に手柄を取られた」といった感情も強くなかったのか、顔合わせの第一声で警視庁の捜査員は「おめでとうございます」と府警捜査員に大声であいさつ。意気投合した背景はこうしたところにあったのかもしれない。
情報提供呼びかける
現在も日本赤軍のメンバー7人は逃亡し国際手配されている。警視庁は今年2月、情報提供を呼びかける動画を公開。そこでは「事件はまだ終わっていません」「彼らはあなたの近くで生活しているかもしれません」と呼びかける。
後に警視総監や内閣危機管理監を務めた高橋さんも「世間を揺り動かした事件はそう簡単には終わらないのだろう。今後も警察としてさまざまな動きに敏感に対応していかなければならない」と強い口調で語る。
重信元最高幹部は今後について「(病気の)治療と学習」と語ったが、活動に期待する支援者もいる。当局は出所後の動向を注視しており、警察幹部は「逃亡しているメンバーを捕まえ刑に服させるまでは終わらない」と話した。

■ロッド国際空港銃乱射事件 1972(昭和47)年5月30日、イスラエル・テルアビブのロッド(現ベングリオン)国際空港で、日本赤軍の岡本公三容疑者(74)ら3人が起こした無差別銃乱射事件。死傷者は約100人にのぼった。岡本容疑者以外の奥平剛士、安田安之の両メンバーはその場で爆死した。直後の犯行声明で初めて「日本赤軍」を名乗った。岡本容疑者は現在も国際手配されている。
■日本赤軍 革命拠点を海外につくる「国際根拠地論」に基づき、昭和46年にレバノンへ出国した重信房子元最高幹部らが結成。1972(昭和47)年にはメンバーらがイスラエル・テルアビブのロッド国際空港で自動小銃を乱射、約100人を死傷させるなどした。在マレーシア米大使館を占拠した75年のクアラルンプール事件で5人、日航機を乗っ取り乗員乗客を人質に取った77年のダッカ事件では6人が「超法規的措置」として釈放された。国外逃亡したメンバー7人が現在も国際手配されている。