「生き埋めになるかも」ウクライナ避難者、日本の母校で惨状語る

ウクライナから避難してきた女性が4月から母校の敬愛大(千葉市稲毛区)で働き、ロシア軍の侵攻によって自らの身に起きたことを学生たちに語っている。母親と一人息子を連れて首都キーウ(キエフ)から逃れてきたパンコーバ・オルガさん(43)だ。「思い出したくない気持ちはあるが、いまウクライナで起きていることを知ってほしい」と話す。
オルガさんは母国の大学を卒業後、2006年から4年間、敬愛大に留学した。帰国後はウクライナ外務省の職員となり、在日大使館にも勤務した。今年1月に母国で念願の日本語教室を開いた直後、戦争が始まった。
キーウには空襲警報が鳴り響き、まちを襲うミサイルが見えた。主に攻撃が行われる夜間は住んでいたマンションの地下室で、他の住民と一緒に冷たい段ボールの上で眠った。
ある日、ロシア軍の爆撃で崩れる建物を見た。「地下に隠れていても生き埋めになるかもしれない」。3月初旬、母親のタチアナさん(68)と息子のジェーニャさん(10)を連れて国外に逃れることを決め、隣国のポーランドへ脱出した。
留学時代の同級生が日本への避難を勧め、航空券も用意してくれた。当初は長期間の国外避難は考えていなかったが、子供の安全も考えて来日を決断。3月14日に7年半ぶりに日本の地を踏んだ。
直後に身を寄せた多古町では、生活用品や支援金を受けることができたが、安定した暮らしには仕事が必要だった。手を差し伸べてくれたのは母校だった。オルガさんのことを聞きつけた敬愛大が、日本語が堪能で国際経験も豊かな点を評価し、職員として採用してくれたのだ。一家で千葉市の市営住宅に移り、新生活が始まった。
大学では留学生のサポートや授業の補助を主に担うが、「特別授業」で教壇に立つことも。学生たちには「世界のことを考えることは、自分の地域との付き合いから始まる」と説いている。今回の戦争体験から、身の回りの人を大切にしてほしいと思うからだ。
ジェーニャさんは日本の小学校に通いながら、オンラインでウクライナの授業も受けている。日本語を話せないタチアナさんも、世話好きな近所の人に助けられながら、地域に溶け込みつつある。
キーウの自宅や日本語教室がどうなっているのか分からず、残してきた親族のことも心配だ。チャリティーバザーや募金を通じ、これからもウクライナの人たちを支援していく。【柴田智弘】
770人を前に講演
オルガさんは5月24日、千葉県立安房高(館山市)で生徒や教職員ら約770人を前に講演。ウクライナの文化や観光について説明した後、軍事侵攻を受けた後の体験を振り返り、「ずっと平和を維持するにはどうしたらいいかを考えてほしい」と訴えた。また、先の見えない不安を抱える中で「日本の友人たちからのメールに勇気づけられた」とも話した。
3年生の佐藤恵さん(17)は「戦争前のウクライナがとても美しい国だと初めて知った。それらが破壊されてしまったことがとても悲しい」と話していた。【岩崎信道】