転職8回、繰り返す人間関係トラブル… 孤立を深めた銃撃容疑者

安倍晋三元首相(67)が奈良市で演説中に銃撃されて死亡した事件で、山上徹也容疑者(41)=殺人容疑で送検=は海上自衛隊を退職した2005年以降、少なくとも8回の転職を繰り返していたことが関係者への取材で明らかになった。最も長い勤務期間は2年足らずで、同僚との人間関係を理由にした退職理由が目立つ。事件は22日で発生から2週間。山上容疑者が孤立を深めていた様子が新たに浮かんだ。
「ボソボソとしゃべっていたという記録がありますね」。6年前、山上容疑者の採用面接を担当した人材派遣会社の男性社長はこう話す。
この会社は16年秋、フォークリフトで荷物を運ぶ「リフトマン」の求人広告を出した。派遣先は関西地方の工場。この求人に応募してきたのが、山上容疑者だった。
提出された履歴書には、短期間のうちに転職を繰り返す過去の職歴や学歴が詳しく記載されていた。
奈良県内有数の進学校として知られる高校に入ったにもかかわらず、大学への進学をあきらめた山上容疑者。母親(69)が宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に総額約1億円の献金を繰り返し、生活に困窮していたことが理由だった。
山上容疑者は専門学校を経て海上自衛隊に入隊したが、05年8月に退職。初めての転職先に選んだとされるのが、06年12月から働き出した奈良市内の測量会社だ。測量の補助業務を担うアルバイトだったが、半年間で辞めた。
宅地建物取引士やフォークリフト運転技能の資格を取得し、就労への意欲もうかがえる。住宅設備メーカーや倉庫でリフトマンとしての職を得ていたが、いずれも1年前後で退職を繰り返していた。
「上司と合わない」「人間関係」……。人材派遣会社の当時の面接資料には山上容疑者から聞き取った過去の退職理由が記され、上司や同僚との折り合いが悪くなったとする説明が目立っていた。
社長は、山上容疑者の度重なる転職や退職理由を踏まえ採用を見送った。この頃から当座の資金に困っていたのだろうか。山上容疑者は履歴書の本人希望欄で、賃金の週払いも求めていた。
社長は報道機関からの問い合わせで山上容疑者との面接を知ったといい、「容疑者の印象は全く記憶になく、ただ驚いている」と語った。
「コツコツと仕事するタイプだった」
こう振り返るのは、山上容疑者が10年12月からアルバイトとして働いていた会社の担当者だ。山上容疑者は倉庫で物品を仕分けする仕事を真面目にこなしていたが、1年ほどで退職した。後輩の指導が得意ではなかったことが理由だったという。
転職を繰り返す中、20年10月に採用された京都府内の工場は最長の1年7カ月間在籍した。月収は約20万円。この工場でもリフトマンとして当初は真面目に働いていたが、次第に上司や同僚と言い争うようになっていた。
山上容疑者が宗教団体最高幹部の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁や安倍氏の襲撃計画を立て、さまざまな武器の製造を繰り返していた時期とも重なる。22年3月、同僚との激しい口論をきっかけに無断欠勤が始まり、体調不良を理由に5月15日で退職した。奈良県警によると、直後に再就職した大阪府内の会社も3週間で辞め、以降は無職だった。
山上容疑者は事件当時、銀行口座の残高が底をつきかけ、生活費を工面するため消費者金融からも借金を重ねていたとされる。ある捜査幹部は「周囲に頼れる人もおらず、孤立と困窮から自暴自棄になり、安倍氏銃撃に暴走していった疑いもある」と話した。【益川量平、清水晃平、小坂春乃】