奈良市の平城宮跡の東方官衙(かんが)地区で、奈良時代の役所の大型基壇(東西29メートル、南北17メートル)が見つかった。儀式に使う大極殿(だいごくでん)や朝堂(ちょうどう)を除けば平城宮最大で、26日に発表した奈良文化財研究所は、律令制の最高官庁「太政官(だいじょうかん)」の建物の土台だったと推定している。
大型基壇は大極殿を含む区画「第2次大極殿院」(奈良時代後期)のすぐ東隣で見つかった。平城宮の中枢に位置する。盛られた土の上面全体が削られていたが、高さは1.2メートルだったと推定される。外装に使われる石はほとんど失われていた。南北ともに3カ所ずつ階段があり、北側の一番西にある階段には、外装石を支える地覆石(じふくいし)と踏み石が計6個残っていた。基壇周辺は小石で3層の舗装が施されていた。
基壇が支えていた建物は東西21.8メートル、南北13メートルで、当時としては巨大。南側に1.5メートル離して建てられていた2棟の跡も見つかった。一体で使われていたとみられる。過去の調査ではさらに南側にもう2棟あることが判明している。
大きさや位置、建物の格を示す基壇の高さから、トップ級の役所だったことは確実で、天皇の下で官庁を束ねる「太政官」や、天皇を補佐する役割も担い格が高かった「中務(なかつかさ)省」だったと考えられるという。
近畿大の網伸也教授(日本考古学)は「太政官の可能性が高く、配置は朝堂院の東側に北から中務省、太政官、民部省が並ぶ平安京と一致する。古代都城の変遷を考える上で重要な成果だ。今につながる日本の官僚制の原点がここにある」と話している。
現地説明会は29日午前11時~午後3時に随時開催する。荒天の場合中止。問い合わせは奈文研研究支援課(0742・30・6736)。【大川泰弘】