徴用船に乗り14歳で散った兄、足跡たどる88歳弟「戦争は子どもの未来奪う」

戦後77年の終戦の日の15日、先の大戦で兄を失った東京都清瀬市の猪股貞雄さん(88)は都庁で開かれた都戦没者追悼式に参列した。4歳年上の兄は陸軍の徴用船に乗り込み、わずか14歳で命を落とした。少年をも巻き込んだ戦争の理不尽さを思い、戦没者を追悼した。(田村美穂)
「幼い兄貴がなぜ死んだのかを今も調べ続けていること、そして国のために尽くしてくれたことへの感謝を伝えたい」。15日午前、猪股さんは兄・盛光さんの戦死確認書のコピーを手に式に臨んだ。
盛光さんは埼玉県吾野村(現・飯能市)で育ち、1944年春、旧制の国民学校高等科を卒業。14歳で横浜市の海員養成所に入った。間もなく陸軍に徴用された貨物船「南征丸」の甲板員見習いとなり、航海中は敵の魚雷攻撃を見張る任務を担った。
盛光さんは10人きょうだいの三男。養成所から弟に宛てて送ったはがきには、端正な筆致で家族への愛情をつづった。
〈立派な船員となるべく努力してゐる。懸命に勉強して父母の言ふことをよく聞いてしっかりやりなさい〉
だが、44年9月21日、南征丸はフィリピンから台湾に向かう途中、米軍機の攻撃を受け沈没。四十数人のうち盛光さんを含む17人が戦死した。
猪股さんは、戦死の報に母のトシさんと姉が仏壇の前で声をあげて泣く姿を覚えている。母は戦死確認書を「盛光が国のために働いた証し」と終生大事にしまっていた。
猪股さんは、母や兄・保雄さん(90)から盛光さんの思い出話を聞き、優等生で優しかったという面影を大切に抱いてきた。
兄の足跡をたどり始めたのは、退職後の70歳を過ぎてから。戦没した船員の慰霊などをする公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」(東京)を訪ねた。
同会によると、先の大戦では約2500隻の民間船が米軍などの攻撃で被害を受けた。約6万人の戦没船員のうち、10歳代が3割を占めた。戦死した船員の穴を埋めるため、多くの少年が短期の養成で船に乗せられ、犠牲となった。民間船の死亡率は陸軍の20%、海軍の16%を大きく上回る43%に達した。
いたいけな少年たちを戦場の海に駆り立てた軍や政府に怒りがこみ上げた。「しっかり訓練を受けていれば助かった命も多いのでは」
顕彰会の資料を調べる中で、南征丸の戦死者に、兄と同学年の少年船員がいたことを知った。「兄の仕事ぶりを伝え聞いていないか」。船員の実家を訪ねたが、すでに空き家だった。
今も顕彰会と連絡をとり、盛光さんの情報を探し求めている。「子どもたちの未来を奪う戦争は二度と起こしてはいけない。平和な世界を願うのが自分の使命」と語る。