元寇の慰霊碑、再建へ 05年地震で倒壊「平和の象徴に」 福岡

鎌倉時代にモンゴル帝国(元)が日本を侵攻した元寇(げんこう)(蒙古襲来)の犠牲者を慰霊する石碑が、福岡市西区の山にある。2005年3月の福岡県西方沖地震により倒れたままだったが、22年が日本とモンゴルの外交関係樹立50周年になるのに合わせ、再建されることになった。企画した両国の関係者は「石碑が平和のシンボルになってほしい」と願う。
玄界灘に突き出た糸島半島の北端に位置する、その名も蒙古山。ふもとのバス停から車と徒歩で約20分かけてたどり着いた山頂には、「蒙古山之碑」と彫られた石碑(高さ約2・7メートル、重さ約3トン)が横たわる。5日、石碑のそばでは作業員3人が再建に向け、基礎部分に使う岩を重機でつり上げていた。再建は九州沖縄・モンゴル友好協会(福岡市)や在福岡モンゴル国名誉領事館(同)が企画し、10月末には終える予定だ。
明治に建立、再建費が課題に
友好協会によると元寇の際、玄界灘や博多湾を見渡せる山頂には日本側の見張り台が置かれた。また両軍の犠牲者が山に埋葬されたといい、慰霊のため1895(明治28)年に地元有志が石碑を建立した。以前は海上の船から石碑が見え、漁港に戻る地元の漁師が「無事に帰ってきた」と安心したという。
しかし、最大震度6弱を記録した西方沖地震で、石碑は土台部分から横倒しになった。地元自治会は再建に向け検討を重ねたが、土台を含めた重さは約4・5トンで人力で動かすのは難しい。山頂までの道は生い茂った竹に塞がれるなど荒れ果てており、作業用の重機を搬入する道の整備などに多額の費用がかかるため、再建話は宙に浮いていた。
事態が動いたのは2020年9月。同領事館のシーテベ・アルタンイルデン名誉領事(52)が、九州大大学院で学ぶモンゴル人留学生からSNS(ネット交流サービス)で送られた石碑の画像を目にしたのがきっかけだった。留学生はインターネットで母国にゆかりのある蒙古山を知り、趣味のハイキングで登頂した際、倒れたままの石碑を発見したという。
「先祖の墓がこのような状況で悲しい」という留学生の思いを受け、アルタンイルデンさんは友好協会の進藤和昭会長(73)=福岡県糸島市=に相談し、外交関係樹立50周年の記念事業として再建することにした。地元自治会も「ぜひ力を合わせてやりたい」と喜び、9月から山道の竹や木を伐採するなど本格的に作業を始めた。
再建にかかる費用は約500万円。友好協会がクラウドファンディングで寄付を募ったほか、進藤さんが8月にモンゴルの外務省であった50周年記念イベントで石碑の歴史や現状を説明して支援を呼び掛けると、出席者からは「どうすれば支援できるか」との声が相次いだという。作業完了後は石碑の由来を書いた案内板を設置したり、山道を整備したりするといい、11月29日に竣工(しゅんこう)式を実施する。
山頂で作業を見守った進藤さんは「ロシアのウクライナ侵攻が続く中、戦争の歴史を通じて平和の尊さを感じる場になってほしい」。アルタンイルデンさんも「日本とモンゴルは今、元寇や(1939年に旧満州とモンゴルの国境付近で、当時のソ連軍・モンゴル軍と日本軍が衝突した)ノモンハン事件を乗り越えて良好な関係を築いている。石碑は、両国の歴史を世界の人に知ってもらうための平和のシンボルになるだろう」と期待を込めた。
友好協会は11月29日まで、再建費用に充てる募金への協力を呼び掛けている。問い合わせは友好協会(092・621・9160)。【松田栄二郎】