「あばずれ支援か」とヤジも…保守層から目の敵にされた「内密出産」が国に正式に認められた理由

9月末、国は内密出産に対する方向性を示すガイドラインを発出した。昨年12月に日本で初めてとなる内密出産の受け入れが行われてから現在までに合計7件の内密出産が実施されている。9カ月間、現場では病院と行政、児童相談所の三者が手探りするしかなく、ガイドライン策定は喫緊の課題だった。
母親が養育権を放棄し、赤ちゃんが単独戸籍となる内密出産は、伝統的家族観を重んじる保守層からは忌み嫌われてきた。だが、これでようやく、国が内密出産を正式に認めたことになる。
ここに至るキーパーソンは、伊藤孝恵参議院議員(愛知選出・国民民主)だ。伊藤氏は47歳、小学生の二児の母でもある。2016年に初当選し、永田町でただ一人、内密出産の法整備に取り組んできた。
内密出産について質問に立つと「あばずれ支援か」とヤジが
2018年に初めて予算委員会で内密出産について質問に立ったときは、与党議員から「あばずれ支援か」とヤジが飛んだ。その後も毎年必ず質問したが、与党はもちろん自党でも関心を持つ議員はほとんど皆無。元民放の報道局員だった伊藤氏が記者たちに働きかけてもなかなか記事にはならなかった。
2020年12月、生殖補助医療を考える超党派議連(野田聖子会長)が発足する際、内密出産についても議論することを条件に伊藤氏は事務局長を引き受けた。14回開かれた勉強会に内密出産の企画を4回押し込み、慈恵病院長の蓮田氏の講演を実施。同時並行して参議院法制局や厚労省家庭福祉課、法務省民事局および刑事局と、内密出産を実施した場合に抵触する可能性のある法律について解釈の検討を行っていた。
そうした中の2021年12月、熊本市の慈恵病院で、初の内密出産が行われた。
未成年の未婚女性が誰にも知られずに出産したいと、予定日5日前に九州外から新幹線で熊本に来た。両親が離婚後、過干渉な母親との緊張関係が続き、母親から家を出され高校を中退。恋人は暴力を振るい、妊娠がわかると逃げた。このような事情から、母親に知られずに出産し、赤ちゃんを特別養子縁組に託したいと女性は希望した。
参考:「 赤ちゃんを産んだことをお母さんに知られたくない…なぜ慈恵病院は『内密出産』に踏み切ったのか 」(文春オンライン)
「あんまり野党が突っ走ると…」与党議員からの耳打ち
年が明けて慈恵病院が内密出産の実施を公表すると、出生届や赤ちゃんの戸籍の取り扱いをめぐり、行政や児童相談所など熊本の現場は混乱を極めた。翌2月、伊藤氏は参院予算委員会に蓮田院長を参考人招致する。蓮田氏は、孤立出産や乳児殺害遺棄事件では、出産した女性の生い立ちに、虐待、ボーダーラインの知的障害や発達症、母娘関係の問題が複雑に関わっていることを説明し、「(内密出産を)お許しください」と訴えた。伊藤氏が岸田文雄首相から「内密出産は現行制度下で対応が可能」との発言を引き出し、後藤茂之厚労相と古川禎久法務相からガイドライン策定の言質をとったのは、その直後だ。
だが、「あんまり野党が突っ走るとうまくいくものもうまくいかなくなるよ」と、反対する与党議員からは嫌がらせめいた耳打ちをされた。
演説会で熱弁を振るった伊藤氏
それでも4月末にはほとんど下書きが完成していた。それが9月まで延びたのは、後述する事情による。7月に控えた参院選の地元愛知選挙区の下馬評では伊藤氏は当確外だった。その頃、落選を見越した伊藤氏は覚悟を決めて内密出産案件を他の議員に引き継ぐ準備を始めている。
6月末、伊藤氏の地元・愛知県名古屋市で開かれた演説会で、支持母体・連合愛知が動員した約600人のサラリーマンを前に、伊藤氏は開口一番、「土砂降りの中、たった一人、傘もささずに途方に暮れている、それが予期せぬ妊娠に立ち尽くす女性たちです」と、内密出産法の成立に熱弁を振るった。選挙結果は日付が変わってから土壇場での逆転当確。永田町でガイドラインの発出に立ち会うこととなる。
「知られたくない権利」と「知る権利」をどう調整するのか
筆者がガイドラインで注目したのは2つの対立する権利の調整だ。
内密出産では出産について知られたくない女性の権利と、赤ちゃんの出自を知る権利という2つの対立する権利をどう調整するかがポイントになるが、前述した初の内密出産では、出産について知られたくない女性の権利への配慮が感じられなかった。それには次のような経緯があった。
女性は慈恵病院の予め決められた特定の人物にだけ身元情報を明かし、特別養子縁組の同意書に署名をして病院を退院した。だが、4月、内密出産であるはずにもかかわらず、熊本市児童相談所が女性の身元調査(社会調査)を進めていることがわかった。6月、厚生労働省家庭福祉課は筆者の取材に対し、「赤ちゃんの出自を知る権利を守るために児童相談所が決定した必要な対応だった」と回答している。なお、厚労省の担当部署が熊本市児相による社会調査の事実を把握した時点では、ガイドライン原案には社会調査に関する記載はなかったことが関係者への取材でわかっている。
参考: 「出産したことを知られたくない」内密出産の行方 慈恵病院院長が反発する「児相のだまし討ち」とは? (文春オンライン)
発出が先延ばしになったのは、社会調査関連の検討を加えるためだった。そして9月の発出に至る。
だが、発出されたガイドラインでは、女性の身元をたどる社会調査について直接には触れていない。代わりに、児相の取るべき対応に関して次のような一文がある。
<妊婦がその身元情報を医療機関の一部の者のみに明らかにして出産することを望み、医療機関等の説得に応じない場合においては、身元情報を明かしたくないという母の意向も念頭に対応されたい>
2つの対立する権利の調整にあたり、赤ちゃんの出自を知る権利を守るのが児相だとするなら、女性の出産を知られたくない権利を守る第三者も必要だろう。しかし日本では女性が赤ちゃんを産んだ時点で法律上の親子関係が生じることになる。女性が自分の産んだ赤ちゃんの養育権を放棄することについて、与党は言うまでもなく社会的な受け止めが厳しい。このことを予想した苦肉の策とみられる。
厚労省が記者クラブで行ったレクチャーでは「なぜ社会調査はするべきではないと書かないのか」と質問が相次いだ。
伊藤氏は「現状で官僚が書き切れる最大のものを書いてもらった」と担当者をかばった。
「考えてみてください。社会調査は児相に与えられた権限です。それを国が『してはならない』と言うことは適切ではありません。内密出産ではあらゆる事態を想定しなくてはなりません。例えば10歳の女の子が妊娠・出産する場合など性虐待が疑われるケースでは社会調査は必要です。だから、官僚はギリギリの書ける範囲で悩み抜いてこのように書いています。もっと行間を読んでほしい」
加えて官僚は原則として与党の指示に基づいて動く。現行の保守政権で女性の権利を正面から突破しようとしても無理がある。そう伊藤氏は官僚の苦悩を推し量った。
ガイドラインに足りないもの
一方、法律家の床谷文雄氏(奈良大学教授)はこのガイドラインでは2つの対立する権利の調整はできていないと指摘する。
「子どもの出自を知る権利はガイドラインの中に何度も繰り返し出てきますが、女性の権利に関しては、『出産を知られてはならない事情のある女性』という言葉にとどまっていて、それを権利として認めてはいません。ですが、子どもの出自を知る権利にしても日本の法律に権利として明記されているものではありません。その意味では、平等に取り扱っているとは言えない」
「法律ではなく、あくまで方向性を示した国の指針、それがガイドラインです。これまでの国と自治体、慈恵病院とのやりとりをまとめ、出産受け入れ、出産後の女性の意思の確認、出自情報の管理など、『内密出産のやり方』をまとめたもの」(床谷氏)
ガイドラインは慈恵病院だけを念頭に置いたものではない。今後、新たに内密出産の実施を検討する病院と病院の所在地の自治体、児童相談所が、自分たちで独自に規定をつくって母子の安全な出産が可能になるように整えることをガイドラインは促す。規定に入れ込むべき項目や手順、それらの一定の基準についても大まかな枠組みを記している。
東京では複数の民間病院が赤ちゃんポストの運営の検討を始めた。それらの病院が赤ちゃんポストに加えて内密出産の実施も検討するとなれば、このガイドラインをひとつの目安とし、自治体や児童相談所と協力して規定をつくることになる。
だが、「内密出産を検討している病院が実施に進むにはこのガイドラインには曖昧な点が多い。(これをもとに)実施に踏み切るのは難しいのではないか」と床谷氏は言う。特に床谷氏が懸念を示したのが、出自情報の管理を病院に任せている点だ。先行するドイツでは、2014年から内密出産法が施行され、現在までに内密出産で約900人が誕生しているが、出自情報は連邦家族省に付属する役所に保管される。特定法がない日本の現状では、病院が保管するより他に選択肢がないが、情報管理体制に不安定さが残る。
このことについて伊藤氏は「政治の不作為」と悔やんだ。生殖補助医療議連では、特定生殖補助医療により生まれる赤ちゃんの遺伝子上の親の情報を管理する出自情報管理センター(仮称)を国がつくる案が浮上していた。
「センターをつくることになれば内密出産の出自情報も管理できる環境整備を目指すことは可能です。内密出産のガイドライン策定までにセンター設置の法案提出が間に合わなかった」
内密出産に必要な法整備を
慈恵病院は事前に熊本市経由で厚労省にガイドライン試案を提出したが、直接のヒアリングを受けていない。このことについて蓮田氏は「当事者抜きなのか」と反発していた。
それに対し伊藤氏は「一病院だけからのヒアリングでは他の医療機関が納得しない可能性がある。慈恵病院を守るためにも厚労省は直接のヒアリングを避けたのでは」と裏事情を解説した。
「ことは一足飛びには進みません。ガイドラインができたことは奇跡に近いし、間違いなく前進です。しかしまだまだ足りない。だからもう法整備に向けて動いています。任期6年の間でやりきるつもりです」
昭和期に菊田昇医師が14年をかけて特別養子縁組制度を切り開いた経緯に比べると展開が早いと伊藤氏は感じていた。
与党内に、医師で弁護士の古川俊治参院議員、医師の秋野公造参院議員をはじめ、法整備に協力的な議員が少しずつ現れている。「厚労省の担当者もガイドラインをつくっておわりだとは思っていない」と伊藤氏は言う。
生殖補助医療議連の中に、内密出産に関する勉強会がまもなく発足する。伊藤氏は事務局長として運営のとりまとめをする。内密出産という苦渋の決断を最後に支えるのは、立法府が生み出す法律だ。
(三宅 玲子)