「東海道は57次」 終点は大坂説を披露 静岡・三島で28日に交流会

東海道や宿場の歴史的役割を正しく伝え、東海道の魅力を発信しようと、東海道町民生活歴史館(静岡市清水区蒲原)が、28日に静岡県三島市一番町の三島市民文化会館で「東海道57次交流会」を開く。東海道は終点が京都までの53次と一般的に認知されているが、交流会では終点が大坂(現大阪)で57次だったとする説が披露される。
蒲原、名古屋での開催に続き今回で3回目。歴史館の志田威(たけし)館長によると、東海道は当初は京都までで宿場は約40だったが、徳川家光時代の1624(寛永元)年に東海道が完成した時は大坂までの57次になった。
大津以降の宿場は、伏見▽淀▽牧方(現枚方)▽守口。これらの町にも東海道の宿場であると証明する幕府の朱印状が残るという。また宿場の役割として「宿泊できる場所」という点ばかり注目されるが、宿場第一の役割は人足と馬を次の宿まで貸し出す「人馬継立(つぎたて)」であったという。
交流会は午前10時~午後2時半。志田館長が「東海道は大坂までの57次だった」の演題で講演。桜井義之・三重県亀山市長などが情報発信する。また、歌川広重の保永堂版「東海道五拾三次」を原寸大に印刷した絵巻物が三島市と静岡県に寄贈され、会場で披露される。入場無料。問い合わせは午前9時~午後5時に歴史館(090・9900・9222)まで。【石川宏】