ベトナム人に日本文化を教える学校を作りたい-。その夢は突然断たれた。昨年4月、大阪市淀川区の建物一室で、ベトナム人の弁当店員の女性=当時(31)=が殺害された。「礼儀正しく、真面目な日本人が好き」。母国にその魅力を伝えるため、仕事を掛け持ちして資金を積み立てている最中だった。両国の架け橋になろうとした女性の命を奪ったのは、面識のない60歳の男による「2万6千円のための犯行」だった。
日本は憧れの国
殺害されたヴォ・ティ・レ・クインさんは7年前、先に来日していた夫のファン・タン・ユィさん(36)と一緒に暮らすため、母国を離れた。
初めて日本に降り立った際、夫は妻の表情をうかがった。そこには異国で生活する不安ではなく、幸せそうな笑顔があった。「日本人と一緒に勉強し、一緒に働く」。子供のころからの夢が実現した瞬間だったからだ。
「ドラえもん」や「美少女戦士セーラームーン」を見て育った。来日するまで日本への留学や就職を希望するベトナム人に日本語を教える仕事に就いていた。
移住後も日本人への好意は変わらなかった。初対面でも相手に敬意を持って頭を下げてあいさつし、交通ルールもしっかり守る…。「安心して生活できる日本にずっと住みたい」。夫にそう告げていた。
2人の〝夢〟も固まった。夫婦で働いて金をため、「ベトナム人に日本の言葉と文化を教えるための小さな学校を開く」。日本語の理解を深めるために修士号の取得も目指した。
で誘い出され
昨年4月3日朝。弁当店で働くクインさんに、上階に住む山口利家被告(60)が声を掛けた。
「マスター(店長)から言われている。貴重品とかとられたらあかんもん、持ってきて」。をついて、自宅に誘い込んだ。
クインさんが部屋に入ると、所持金を差し出すよう要求。抵抗されると、首を絞めた。財布から2万6千円を引き抜いた。その金で焼き鳥や酒を購入した。
大阪府警は同月6日、強盗殺人容疑などで山口被告を逮捕。同罪などで起訴され、今年1月から大阪地裁で裁判員裁判が開かれた。
公判で弁護側は、「金を借りるつもりだった」と殺意と強盗目的を否定。強盗殺人罪ではなく、傷害致死と窃盗罪にとどまると主張した。
一方、大阪地裁は2月3日の判決で、強盗殺人罪の成立を認め、求刑通り無期懲役を言い渡した。
判決によると、山口被告の所持金は100円を切っていた。中川綾子裁判長は、「面識のない女性に嘘をついて自室に誘い込んでも金を貸してもらえるはずがない」と指摘。2~3分にわたって首を絞め続けたことも踏まえ、殺意と強盗目的を認定した。
量刑理由では、「金欲しさの身勝手な犯行」とした上で「全く落ち度がない未来ある一人の女性が理不尽に命を奪われ、夢を打ち砕かれたという結果は極めて重大」と断じた。
妻の無念を晴らすためにも
クインさんの夫は、妻の結婚指輪をネックレスにして、裁判所に足を運んだ。法廷での意見陳述では、「私たちの計画と夢は一生かないません。被告がわずか2万6千円のために妻を惨殺したからです」と訴えた。
判決後、求刑通りの判決に「妻に『天国で安らかに休んで』と報告できる」と安堵(あんど)の表情を浮かべたが、山口被告は控訴したため裁判は続く。
事件当日は日曜日。仕事が休みだった夫に、「昼食は一緒に食べよう」と言い残して弁当店へ向かった。しかし、いくら待っても帰ってこなかった。
クインさんの所持品は何一つ捨てていない。帰宅すると仏壇の前でその日の出来事を話す。妻の写真を見ると「心が刻まれるような痛みを感じる」。それが今の日課となっている。
事件後、何度も聞かれることがある。「ベトナムに帰らないのか?さみしいだろう」と。考えた末に結論は出た。
「日本で妻はいっぱい夢を持っていた。だから僕はここに残って日本語を勉強し、妻の夢を代わりに実現させたい」(地主明世)