給料を取り上げ、骨折するまで暴行、火傷で広範囲に皮膚が剥がれ…衰弱死した25歳男性への“あまりにも酷すぎる仕打ち” から続く
2023年3月24日、滋賀県愛荘町の自宅アパートで、同居していた岡田達也さん(当時25歳)に暴行を働き、十分な食事を与えずに衰弱死させたとして、傷害致死罪などに問われた小林久美子被告(57)に対する裁判員裁判の判決公判が大津地裁であり、畑山靖裁判長は求刑通り懲役24年(未決勾留日数600日をその刑に算入する)を言い渡した。
火傷している左手を自分で殴るように命じ…
「被告人の供述はことごとく他の証人の証言と食い違う。関係者から尋ねられるたびに供述を変えており、自己の刑責を免れるために虚偽の供述をしているのは明らか。信用できない」(畑山裁判長)
裁判所は岡田さんの全身に皮下出血や表皮剥奪などがあったのは「転んでできるケガではなく、真新しい傷もあり、事件直前に暴力を振るったのは被告人と共犯者しかありえない」と断定した。その上で、小林被告が無罪を主張していることについて、「その場しのぎの弁解に終始し、反省も見られず、更生も期待できない」と一蹴した。
裁判所がもっとも重要視したのは、小林被告の共犯者とされる三男のX(21歳。傷害致死罪などで懲役11年、控訴中)の交際相手の証言だった。彼女は事件発生時、頻繁に小林被告の自宅で寝泊まりしていた。
「最初は小林被告が長女に食事を与えないなどの虐待をしていましたが、長女が出て行くと、岡田さんにターゲットを変えました。言いつけられた家事をしていないという理由で、顔面を手拳や平手で殴ったり、木刀で殴ったりしていました。Xも岡田さんにグローブを付けさせて、スパーリングの相手をさせていました。
岡田さんがパチンコ店で景品を万引きする事件を起こした際には、『手癖が悪い』と言って、火傷している左手を自分で殴るように命じ、その殴り方が弱いと言いがかりをつけて、小林被告が代わりに殴っていました。事件の2カ月前からは2人とも毎日のように暴力を振るっていました。小林被告は笑ったり、あおったりして、注意もしませんでした。
岡田さんは1日1食に減らされ、子供用の茶碗に小林被告が残したご飯を盛られ、その上に味噌汁をかけたものを食べていました。小林被告のことを怖がっていて、他の人からもらった食べ物に手を出そうともしませんでした」
これらは他の関係者の証言とも一致しているほか、交際相手は本件後にXと入籍して、Xの更生を祈り、Xが否定している岡田さんへの暴行を積極的に証言していることも信用性が高いと評価された。
長女と次女は援助交際を強要され、売上金を巻き上げられていた
また、岡田さんの兄に何度も電話し、「仕事をしていない達也を食わせている。生活費と離婚のための弁護士費用として150万円払え」「私は達也の子を妊娠している。中絶費用を払え」「払わんのやったら、ヤクザを30人ぐらい連れてそっちに行くぞ」などと脅したとして、小林被告とXは恐喝未遂罪にも問われていたが、これも目撃していたXの交際相手の証言が決め手となった。「一般人を畏怖させるには十分なもの。恐喝未遂罪の共同正犯が成立する」として、同罪の成立を認定した。
小林被告は1989年以降、結婚と離婚を繰り返し、結果的に3男2女をもうけた。地元記者が小林被告の特殊な家庭環境を説明する。
「小林被告は、外部の人間ばかり暴行や食事制限をしていたわけじゃないんです。最初は実子の虐待から始まり、それが外部の人間に移っていったような形跡がある。
小林被告の長女、次男、次女はいずれも苛烈な暴行や食事制限などの虐待を受けていた。さらに長女と次女は援助交際を強要され、小林被告に売上金を巻き上げられていた。すでに亡くなっている長男は稼いできた金を小林被告に巻き上げられ、精神的に病んで20歳で自殺した。
次男と次女だけは父親が同じだが、あとはバラバラ。4人とも生まれて間もなく児童養護施設に預けられた。中学を卒業する頃に自宅に引き取り、最初は優しく接しますが、やがて暴行や食事制限で虐待し、ヤクザの話を出して脅すのも同じです。長女と次男と次女は、虐待されていた男性への暴行にも参加させられており、まともに親元で育てられていたのはXだけです」
「トイレで隠れてパンを食べていた」などの些細な理由で殴らせる
大津地裁が裁判員裁判に先行して審理していた別の同居男性3人に対する傷害事件も激烈なものだった。
2011年1月から5月にかけて同居していた男性を暴行し、食事制限してガリガリに痩せさせた事件は、男性の苗字を取って「松川事件」と呼ばれている。
「男性は当初、小林被告の長女と付き合っていたそうです。それが仕事を辞めると、扱いがひどくなり、腐った味噌汁をかけたご飯1杯しか与えられなかった。黒色マジックで顔中に落書きされ、丸坊主にされた。
小林被告が次男ら他の同居人をけしかけ、『トイレで隠れてパンを食べていた』などの些細な理由で殴らせたりしていた。最後は壁を伝って歩くのがやっとの状態で、全身を骨折しており、全治6カ月の重傷だった。それでも被害者は当時、怖がって警察に届け出ることすらしなかった」(大津地裁担当記者)
「逃げるなよ。分かってるやろな。ヤクザを大勢呼ぶぞ」
2012年9月から10月にかけて虐待されていた男性の事件は、同様に苗字を取って「川並事件」と呼ばれる。当時は次男と次女の他に同居していた2名も加わって、小林被告の命令で男性を暴行し、全治4カ月のケガを負わせた。
〈同居していたうちの1名は母の交際相手だった。交際相手は母の命令で被害者を木刀で殴ったり、拳骨で殴ったり、太ももを蹴ったり、エアガンで撃ったりしていた。倒れた被害者の上半身にダンベルを落としていたこともあった。『何で彼氏ばかりにやらせんねん。お前らもやれ』と命令され、指名されると被害者を殴ったり、タイマンを張ったりしていた。母が暴力を振るうこともあり、被害者が泣いても面白がってやめなかった。被害者には『逃げるなよ。分かってるやろな。ヤクザを大勢呼ぶぞ。逃げてもすぐに見つけるからな』と言って脅していた。被害者が逃げた後、自分も次女と一緒に夜中に逃げた〉(次男の供述調書より)
この事件は警察沙汰になったが、全員が小林被告の関与をかばって立件されなかった。次男は家裁で審判を受け、少年院に送られた。
最後の「丸山事件」の被害者とは2017年3月に出会い系アプリで知り合い、まもなく同居を始めた。この事件では当時16歳だったXも犯行に加わっていたとされている。同年6月から10月にかけて、被害者は暴行と食事制限によって衰弱し、最後は救急搬送されたが、一時心肺停止状態に陥り、回復の見込みがない脳障害が残った。
“稀代の悪女”に悔恨の涙は見られず
この延長線上に岡田達也さんに対する傷害致死事件があり、「私は暴行も加えていない。食事制限もしていない。岡田さんが亡くなったことは関係ありません」と主張するのは、あまりにも無理があるだろう。小林被告からは道徳や倫理観、恥の概念、罪の意識といったものがまるで感じられない。
こうした小林被告の姿勢は、判決公判でも厳しく非難された。
「被害者を精神的に支配し、憂さ晴らしとして暴行を重ね、食事制限は被告人が主導したと認められる。人を人として扱わない卑劣極まりない犯行であり、被害者の苦痛や飢餓感、無念さは計り知れない。ストレスのはけ口として各被害者を弄び、自己の歪んだ欲望を満たそうとした。犯情は際立って悪質であり、同種事案の中でも格段に重く処罰されなければならない」(畑山裁判長)
小林被告は判決文が読み上げられる間、微動だにせずに聞いていたが、「この判決に不服がある場合は控訴の申し立てをすることができます……」という説明に入った途端、「ウン、ウン」と大きく何度もうなずき、最後に振り返って傍聴席を一瞥したが、“稀代の悪女”に悔恨の涙は見られず、片手で髪をいじりながら法廷を去って行った。
(諸岡 宏樹)