2019年10月に刊行された『2050年のメディア』(文藝春秋)はメディアで働く者にとって衝撃の書であった。新聞の凋落という変化がなぜ起こったかを、ヤフーというプラットフォーマーの成立史にからめて書いていたからだ。その 文庫版 が発売された。
この文庫版には、400字×70枚の新章「新聞 vs. プラットフォーマー」が加筆されている。著者のノンフィクション作家・下山進氏に聞いた。
◆◆◆
ヤフーに入った「調査のメス」
──新章では何を書いているのでしょうか?
下山進(以下、下山) 2022年11月に、公正取引委員会が、ヤフーに調査に入りました。単行本は、青雲の志をいだいた若者たちが、海のものとも山のものともわからないインターネットという新しい市場に飛び込んで、既存の大手新聞とわたりあうまでを描きました。
しかし、ヤフーの売上は最新の2022年3月期の決算で1兆5000億円を超え、朝日・読売・日経の3社の売上をすべて足した額よりはるかに多くなりました。そうした巨大プラットフォーマーがとくにニュース配信の分野で、反競争的なことをやっていないか、ということで公正取引委員会が動いているのです。その現在進行形の変化を書いています。
──日本の新聞各社は、ヤフーにやられっぱなしという印象をもっていましたが。
下山 日本新聞協会に4年前に各社が参加する「プラットフォームに関するワーキングチーム」というものができています。そのワーキングチームが、公正取引委員会が調査に入ったことを発表した同日に「プラットフォーム問題分科会活動報告書」なるものを出しています。ただし、新聞協会はこの報告書を、プラットフォーマー側に動きを知られないためと、公表していません。それを入手して読んでみると非常に面白いことがわかります。
このワーキングチームは二つの分科会にわかれているのですが、朝日新聞が座長をつとめている第一分科会の報告のほうが、読売新聞が座長をつとめる第二分科会の報告よりも、前のめりです。つまり、ヤフーに対して今後どうしていくかという工程表が書かれてあるのです。
たとえば短期の工程では、「ニュース配信をめぐる不透明、一方的な取引環境の改善を目指し、プラットフォームへの共同要請や対話、独禁法に基づく諸手続きの活用などをおこなっていく」とはっきりと書いています。
新聞社がエキサイトした「差別的な料率」
──どういうことでしょうか。具体的に教えてください。
下山 ヤフーは、新聞各社へのニュース提供料の料率を個別契約で結んでいます。秘密保持条項がついているので、新聞社は互いにいくらヤフーからもらっているかわからないのです。
単行本の時、その差別的な料率を読売、毎日、地方紙とさりげなく具体的な数字で書いたのですが、新聞社のデジタル部門がいちばんエキサイトしたのが、この各社別の料率でした。産経新聞など単行本の『2050年のメディア』を読んで、ヤフーに直接抗議にいったと聞いています。ようは、しかるべき対価を払ってもらっていない、ということです。
単行本をだしたあと新聞労連の講演会によばれたときに「新聞各社が連合して価格交渉はできないんですか?」と聞かれたことがありました。この時は「独占禁止法のカルテルにあたるからできない」と答えています。
しかし、2016年ぐらいから、まず米国で、ネット上のプラットフォーマーたちに現在の独占禁止法はうまく対応していない、ということを主張するネオ・ブランダイス学派とよばれる人たちが台頭してきます。エール大学法学部のリナ・カーンや、その師匠筋にあたるコロンビア大学の法学部の教授ティム・ウーなどです。
リナ・カーンはロースクールの院生時代に「アマゾンの反競争政策のパラドクス」という論文を書いて一躍注目され、バイデン政権で、FTC(連邦取引委員会)の委員長になり、グーグルやフェイスブックなどのプラットフォーマーたちへの規制を強めていくのです。そうした流れのなかに日本の公正取引委員会もあり、とくに前代の委員長の杉本和行は、ニュースの配信がプラットフォーマーの支配的地位によって歪んでいるのではないか、ということを考えていました。
第一分科会の座長の朝日新聞の福山崇はこうした公正取引委員会と交渉し、プラットフォーマーに対してニュース配信料の原価構造を開示するよう各社は共同して交渉してよい、などの答をひきだしています。
読売新聞社長・山口寿一の問題意識
──読売がイニシアティブをとっているのかとばかり思っていたので意外です。
下山 それがこの文庫版の読みどころでもあります。読売新聞が座長をつとめる第二分科会のテーマは「健全な言論空間・世論形成」でしたが、それは実はそのまま読売新聞グループ本社代表取締役社長の山口寿一の問題意識なのです。
今、読売新聞をとっている人は、くりかえし「アテンション・エコノミー」という言葉が出てきていることに気がついている人もいるでしょう。この「アテンション・エコノミー」とは、ネット空間で、人々の注目を奪い合う競争がおきている結果、本来評価されるべき言論機関のニュースがないがしろにされている、という考えです。
これはさきほどのネオ・ブランダイス学派のコロンビア大学教授ティム・ウーが唱えているもので、合衆国憲法ができたときは、紙のメディアしかなく、つまり言論は有限だった。だから心配すべきは、政府からの抑圧だったので、それに対抗する合衆国憲法修正第一条ができたのだけれど、インターネットがある現在、有限なのは人々の関心のほうで、言論はそれこそ無限にある。だからその人々の関心の争奪戦こそが今日の問題の核心で、それゆえにプラットフォーマーを規制する必要があるという考えです。
山口寿一は、その考えを知り、この問題に対して意外な人物と共同戦線をはることでとりくもうとしているのです。
単行本の出版後に起こった大きな変化
──誰でしょう?
下山 単行本でもう一人の主役だった慶應SFCの天才エンジニア村井純です。村井は、SFCを2020年3月に退任していますが、「国境なき記者団」というパリに本部があるジャーナリストの集団にあるプロジェクトを依頼されます。それは、このインターネット上で、「もういちど正当な言論機関が評価される」ようなシステムをつくる、というものです。
このことを知った山口が、村井に連絡をとり、このプロジェクトに山口と読売はのめりこんでいくようになるのです。それが単行本の出版後に起こった大きな変化でした。
──単行本ではその山口氏に二度話を聞けているということで話題になりましたが、今回も山口氏は取材に答えているのでしょうか?
下山 はい。今は日本テレビホールディングスの代表取締役も兼ねるようになったので超多忙ということで、書面でのやりとりになりました。しかし、今回もきわめて誠実にしかも詳細に答えています。
たとえば読売は、現在も紙を主軸におく経営を崩していませんが、それについて変える気はないのかという問いに対してははっきりと現在の「新聞WITHデジタル」の政策を続けることを明言しています。実は山口氏がどう考えているのかを、今回の取材で、他社の記者もしきりに知りたがっていることがわかり驚きました。他社からも山口寿一は、新聞守護の最後のイデオローグと考えられているのです。
本当に持続可能なメディアとは何か
──そう聞いていると山口氏を礼賛しているようにも思えますが。
下山 山口氏はそれこそ法務部の部長だった20年以上前から、「ライントピックス」訴訟を戦うなど、ネットのことは熟知しています。私も、「アテンション・エコノミー」などの説明を聞いていると、そうなのかな、と思ったりしてしまうこともありました。が、しかし、この書き下ろし新章のなかで「レッドピルを飲む」という表現をつかって、ヤフーや山口氏との考えとも違うもういちど鳥瞰する視点で、「本当に持続可能なメディアとは何か」ということを考えています。
今回の件で、ヤフーがニュースメディアに払う料率は若干はあがるでしょう。しかし、この料率がかりに倍になったところで、現在の新聞の雪崩を起こすように下がり続ける売上の消滅には、焼け石に水ほどの効果しかありません。
文庫版の書き下ろしでは、ではどうすればよいのかということも考察しているのです。
(下山 進/文春文庫)