2023年4月23日に執行された函館市長選挙で、新人の大泉潤氏が現職の工藤寿樹氏に大差を付けて勝利した。大泉氏は人気タレント・大泉洋の兄としてメディアが採り上げたけれど、選挙公約の「ふるさと納税100億円」「北海道新幹線函館駅乗り入れ」などは、函館市の未来を感じさせた。
具体案は3年前にできていた
新函館北斗駅~函館駅間の線路を改良し、北海道新幹線を東京から、あるいは札幌から直通させる「JR北海道新幹線函館支線」計画は、かつて1000億円かかると言われ函館市が断念した経緯がある。それが75億円でできると聞けば、「新人候補が人気取りで突拍子もないことを言い出した」と疑う人もいるだろう。
しかし、この構想は決して素人考えではない。立案者はガチのプロ。鉄道建設公団OBで、北海道新幹線のルート決定にも関わった吉川大三氏だ。私は3年前に吉川氏にこの構想を取材した。函館市のために、北海道のために、JR北海道のために実現すべき構想だと思った。
大泉氏も市役所勤務時代にこの構想を知っていたはずだし、選挙戦にあたって吉川氏もレクチャーしている。吉川氏は対立陣営から「できるわけがない」と批判が出ることも予測して想定問答集も用意し、大泉氏に渡している。その書面を元に、構想の経緯や報道やネット界隈で指摘されている部分について吉川氏に詳しく聞いた。
北海道に新幹線が来るなんて誰も思っていなかった
――吉川さんは青函トンネルが建設されたときに、龍飛建設所の副所長でした。その後、青函建設局で津軽海峡線の開業、後始末等で6年間程函館に勤務され、その後に北海道新幹線のルート決定にあたり、自治体との交渉も担当されました。
吉川 北海道新幹線を担当する前に本社で3年間、青函トンネルの維持管理に関する業務に携わり、その後に工事課長として東葉高速鉄道を5年間担当したのですが、業務の大半は工事に関することより用地買収交渉でした。
バブルで地価が高騰していることもあって、地権者はなかなかウンと言ってくれない。本来は強制収用で決着するところが、成田(空港)闘争の影響で千葉県の収用委員会が動かなかったんです。土地の高騰で建設費の約3割が土地代です。とんでもない比率で、その結果、鉄道運賃が高くなってしまいました。
在来線跡地に新幹線のプラットホームを検討したが…
――次のミッションが北海道新幹線ですね。
吉川 1994年ごろに、整備新幹線の新規着工区間が論議され、九州新幹線長崎ルートと北海道新幹線が候補となりました。私は路線の具体的な調査を行い、駅位置を含めたルートの公表を行うため、1995年に札幌工事事務所へ赴任しました。
北海道新幹線の道内の駅は、駅間距離や街の規模から、概ね木古内、函館、八雲、長万部、倶知安、小樽、札幌とされていました。地形、地質、環境条件等から、最適なルートを求め、在来線の駅に併設できるように考えるのですが、諸条件から併設できないところなどがあり、地元の皆さんの要望に応えることが出来ない部分がどうしても出てきてしまい、申し訳なく思っていました。
まず札幌駅をどこにするか。これはJRタワーを建てようって時期です。在来線が高架駅になった跡地に新幹線のプラットホームを作りたい。当時の坂本眞一社長(後に会長、相談役。2014年自死)に、「タワーをちょっとずらしてくれ」とお願いをしたのですが、「いつ来るか分からない新幹線のために貴重な用地を空けておくことはできない」と言われて困り果てました。
当時の小樽市が現駅を選択
――将来、新幹線が来るならここに駅を、という場所ですけど、当時は北海道に新幹線が来るなんて誰も思ってなかったそうですね。
吉川 当時の北海道知事の堀達也さんは、新幹線の実現に向けた活動を積極的にされており、「JRと公団の両者で話し合いをして、良い案を持ってきてくれ」と言われました。在来線の1番線2番線のプラットホームを改良して新幹線を入れたいと坂本さんに提案し、JRはダイヤを維持できるか検討すると。お互いに半年くらい検討して「できる」と。駅についてはあれが最後に決着したんです。それに比べると小樽は早く決まりました。
――小樽は海と山に挟まれていて、平地はすべて市街地ですね。
吉川 地形的にも現駅は無理だから、土地を確保できるところはトンネルとトンネルの間にある2つの沢、天神か朝里のどちらかでした。朝里は倶知安方面に抜ける国道沿いで便利もいいという提案もありました。しかし天神のほうが市街地に近い。公団としてはどちらでも可能ということで、当時の小樽市が現駅を選んだと。
堀知事が木戸浦市長を説得
――新八雲駅が市街地と離れていて「牧場の中にある駅」として話題になりました。
吉川 八雲駅と新八雲駅は3kmちょっと離れています。あそこには自衛隊の基地があって、八雲駅を通るルートだと基地を横切らなくちゃいけない。新函館北斗駅から海側へ抜けようとすると、大沼国定公園があって、その下にトンネルを掘って大沼の水を涸らしたら大変です。さらに海側には森地熱発電所があって地質が悪い。大沼の西側のルートを取ると、もう八雲駅には絶対に入れないと説明したら、八雲町も「仕方ないですね」と納得してくれました。
――函館駅は、当時の市長が現駅案を譲らなかったそうですね。
吉川 当時の木戸浦隆一市長が「公団は本当に新幹線が札幌に行くと思ってるのか」と。実は当時、東北新幹線は盛岡止まり。八戸まで来てないんです。青森までの工事も認可されていませんから。
――そんな状態で札幌なんて夢みたいな話でしょうね。
吉川 「いま八戸で、次に青森までは来るかもしれない。青森まで来れば青函トンネルがあって、もしかすると函館まで入ってくるかもしれないけど、札幌はありえないんだから。函館でどん詰まりに決まってるんだから」と言って、なかなか話を聞いていただけなかった。
――でも、札幌への最短ルートを取れば向かうとすれば新函館北斗駅の位置がいい。
吉川 それで、堀知事に説得してくださいって頼みに行ったんです。堀さんが、じゃあ言ってくるよって行ったら、あっさりといいよって話になった。何があったかは分かりませんが、知事に感謝です。
新幹線函館支線を思いつく
――結局、関係者のほとんどが「新幹線なんか来ない」と思ってたわけですね。
吉川 こっちは新幹線を作る気ですから。でもね、納得ずくとは言え、もうちょっとなんとかならないのかなって思いまして。だって当時の渡島大野駅でしょう。函館駅から約18kmもある。函館駅と函館空港の道のりが約8kmだから、それに比べたら2倍以上遠い。
そのときに、新幹線は函館本線の左側に並行する部分があると思って、それなら三線軌条にしてそのまま在来線に入れるんじゃないかなと。その時のJRの函館支社長に話したところ、「技術的には可能ですね」というところで終わってしまいました。
――まだ、「はこだてライナー」どころか電化もなかったわけですね。
吉川 「軌道の方はいいけど、電化しなくちゃいけないからお金がかかる。簡単にはいかないね」って言うんですけど、函館駅は新幹線の車両が入る余地はあるのではないかなって。駅の構内は広いし、新幹線開通後は在来線の特急が無くなるので、余裕が出来、今使っている道南いさりび鉄道のホームをずらして、そこに新幹線ホームを作ればよいので、対応できるということです。
前衆議院議員の相談でレポートを作る
――1995年ごろのアイデアが、3年くらい前に形になって講演会を開きましたね。当時の資料をいただいて記事を書きました。
吉川 4年ほど前に、元衆議院議員の前田一男先生から突然電話がかかってきたんです。第2青函トンネルについても、私はいろいろと検討をしていますが、この件で以前から親交があったのです。
その電話で「函館の駅に新幹線を入れたいんだけど、どうしたらいいか」って言うんです。そのまま(フル規格新幹線の線路)だと1000億円かかっちゃうけど、実は昔考えていた良いアイデアがあるんですと。当時より状況がいいのは、新函館北斗駅~函館駅間が「はこだてライナー」のために電化しているんです。
「本気でやろうと思ったらできます」って話したら、「ちゃんとしたレポートを作ってほしい」って言われた。半年かけて、自分で列車に乗って、踏切とか構造物をすべて見て歩いて、結構しっかりと積算をして工事費を計算しました。そのレポートを見せたら、函館市民の皆さんに話してほしいって。これがきっかけです。
――大泉さんは市役所職員だし、観光部長も経験されているから、新幹線関連の情報はご存じだったんでしょうね。
吉川 私は大泉さんも、立候補表明をしたことも、当時は知らなかったんです。突然前田先生から電話がかかってきて、大泉さんが興味を持っているので協力してほしい、公約の一つにしたい、函館に来て会ってほしいと。それが去年の10月くらいかな。
北海道新幹線が函館駅に乗り入れると「はこだてライナー」はなくなるのか へ続く
(杉山 淳一)