首相官邸の1階にあるトイレの個室から、1発の乾いた銃声が鳴り響いたのは5月5日の午前4時40分頃のこと。トイレの床は瞬く間に赤く染まり、頭部から血を流して倒れた男性巡査の傍らには、回転式拳銃が転がっていた。
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「本当に真面目で実直な人でした」
官邸の敷地内で拳銃自殺を図ったのは、警視庁第四機動隊に所属する黒川優太巡査(25)だった。
「黒川巡査は静岡県内の高校を卒業後、2017年に警視庁に入庁。赤羽警察署で3年ほど過ごし、20年9月から機動隊員となりました」(警視庁担当記者)
警視庁幹部が現場を巡視する際、ほとんどの隊員が「お疲れ様です!」と言いながら敬礼する中、黒川巡査だけは決まって、
「第四機動隊第四中隊黒川巡査、勤務中異常なし!」
と、自らの所属部隊と名前、異常の有無を大きな声で申告していたという。
「しかも黒川さんは自分の直接の上司ではない部隊長に対しても、同じようにハキハキと大きな声で挨拶をする。要領はあまりよくない方でしたが、本当に真面目で実直な人でした」(機動隊関係者)
そんな黒川巡査の身に一体何が起きていたのか。警視庁警備部の幹部が明かす。
「黒川巡査が自殺する1時間ほど前のこと。守衛所にいた小隊長のもとに、官邸の警護課から連絡が入ったのです。『警備中にも関わらず、携帯電話を使っている奴がいるぞ』と」
指摘を受けた小隊長が“現場”に向かうと、本来その場を任されていた隊員の姿が見当たらず、別の配置についているはずの黒川巡査が立っていたという。
黒川巡査が小隊長についた“嘘”
「小隊長が『なぜここにいるのか』と問い質したところ、黒川巡査は『(本来の隊員が)トイレに行きたいというので代わった』等と、しどろもどろになりながら答えたそうです」(同前)
だが、その説明は嘘だった。警備部幹部が続ける。
「その場を任されていた隊員は、トイレではなく警備車両の中でサボっていただけだったのです。黒川巡査とその隊員は機動隊の着隊が同期で、警察学校の初任科でも同期だったそう。それだけに、気心が知れた仲だったのか、いいように使われていたのか……」
その後、黒川巡査は小隊長から注意を受け、落胆しつつ同期の隊員と共に西門守衛所のトイレへと向かったのである。
「ミスばかりする自分が情けない」
「午前4時半頃、ある隊員が用を足そうとトイレに行くと、2つある個室の両方が使用中だった。仕方なく外で待っていたところ中から“パンッ”という発砲音が聞こえ、大騒ぎになったのです」(同前)
黒川巡査は何故、自らの命を絶ってしまったのか。前出の機動隊関係者が語る。
「実は、黒川巡査は以前から精神的に不安定なところがあり、医師からうつ病と診断されて自宅療養をしていた時期があったんです」
さらに、2年程前にはこんな悩みも吐露していた。
「ミスばかりする自分が情けない。拳銃を持ってトイレに行くと、引き金を引いてしまいそうで不安な気持ちになるんだ……」
自宅療養をしていた黒川巡査に復職の許可が出たのは昨年4月。半年ほどの“ならし勤務”の後、11月から現場に復帰していた。
だが、こうした勤務体制に問題はなかったのだろうか。元警視庁警備部特殊部隊の隊員で、危機管理アドバイザーの伊藤鋼一氏はこう指摘する。
「たとえ医者の許可が出ていたとしても、精神的に不安定な要素を抱える警察官を、国家の中枢で働かせるのはいかがなものか。病状の変化によっては、その銃口が他人に向かうことも考えられます。警備のあり方はもちろんのこと、メンタルケアを含めた体制の見直しが必要でしょう」
黒川巡査の父親は、こう言って肩を落とした。
黒川巡査の父親は「早く辞めちゃえばよかったのにね」
「僕は、優太が小学校4年生のときに妻と離婚して以来、ほとんど会えてないんです。だけど、元々優しい子だったからね。警察官になるって聞いたときは、ちょっと違和感がありました。電話で『(警察の中で)何になりたいの?』って聞いたら、『別に刑事になりたいわけじゃないんだ』って。早く辞めちゃえばよかったのにね。責任感の強い子だったから……」
警視庁に黒川巡査が自殺した経緯や勤務体制の問題点について問うと、「個別の案件につきましては回答を差し控えさせて頂きます」と回答した。
今年1月にも自民党本部隣のビルで巡査部長の拳銃自殺が発生している警視庁機動隊。これ以上、引き金を引かせてはならない。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年5月18日号)