《天満カラオケパブ刺殺事件》被害女性(25)の母親を激怒させた、宮本浩志被告(58)の“身勝手すぎる手紙”「素敵な娘を育てたご両親がすばらしい方だということは…」

《大阪カラオケパブ刺殺事件》「もう店には来ないでいただけますか」に対して「まゆの声聞けてぐっすり眠れそうです」とLINEを送信 事件4日前、宮本被告(57)の異様な“噛み合わなさ” から続く
2021年の6月11日に大阪市北区の天満駅にほど近いカラオケパブ「ごまちゃん」の店内で、オーナーの稲田真優子さん(当時25歳)が全身を刺され、殺害された事件の控訴審が判決を迎えた。大阪高等裁判所は宮本浩志被告(58)の控訴を棄却し、一審に続き有期刑としては最長となる「懲役20年」を言い渡した。
斎藤正人裁判長は犯行時刻とされる午後9時29分頃から10時8分までの間に被告がビル内で不審な行動をとり、事件後に押収されたビジネスシューズやスーツに被害者の血痕が付着していたこと、店内で発見された被告の結婚指輪に被害者の皮膚片が付着していたことなどを挙げ、こう結論づけた。
「被告人が本件の犯人であることについて合理的な疑いを差し挟む余地はない。有期懲役刑の上限である懲役20年に処するという判断手法にも誤りはなく、被告人に懲役20年を科した理由の説明は十分になされているといえる」
「死刑を望みます」と主張しながら黙秘をつづける
「ごまちゃん」の常連客であり、宮本被告と店で幾度も顔を合わせていた私は、この事件を発生当時から追いかけ、文春オンラインで記事を執筆してきた。
宮本被告は一審で「死刑を望みます」と主張しながら、その一方で認否については黙秘を貫いてきた。そして検察が無期懲役を求刑した日には、突如として検察批判を展開。いずれの発言も真意が不透明なまま一審は終わり、懲役20年という実刑判決を受けて宮本被告は控訴していた。
控訴審の判決が出る日、大阪高等裁判所の201号法廷に宮本被告の姿はなかった。控訴審から弁護を担当する向井啓介弁護士は出廷を促したが、本人が頑なに拒絶したという。向井弁護士が困惑気味に話す。
「説得は試みましたが、ご本人に出廷するお気持ちがなかった。(再び懲役20年の実刑判決を受けて)上告するかどうかに関しては、裁判結果の報告と共に手続きに関して宮本さんに伝えました。仮に上告したとしても、数カ月後に『上告を棄却する』というような文書が送られてくるだけやと思います。控訴が棄却された裁判で上告したとしても、差し戻されるケースはあまりありませんから」
「取り返しのつかないことをした。申し訳ない」とはじめて謝罪?
そもそも被告はなぜ控訴したのか――。いったい被告は、一審判決の何に不満だったのか。死刑を求めながらそれが認められなかったことか、それとも懲役20年という刑期が不満だったのか。はたまた無罪を主張したかったのだろうか。
「それは私にもわかりません。原審の先生(弁護士)と宮本さんの間でどのようなやりとりをしたのかは私も知りません。被告と意思疎通はできていたと思いますが、結局、事件の中身についての話はできなかった」
しかし判決を前にした7月6日に、被害者である真優子さんの兄・雄介さんは大阪拘置所で宮本被告と面会し、その際に「取り返しのつかないことをした。申し訳ない」と言われたと報道陣に明かした。あれほど沈黙を貫いていた宮本被告が、遺族に対して初めて罪を認め、謝罪したというのだ。
判決の日、真優子さんの母・由美子さんは大阪高裁の外周で在阪テレビ局の取材を受けていた。被告が罪を認めたことに関する質問を繰り返す女性ディレクターに対し、由美子さんは困惑の表情を浮かべ、素直な感情をうまく言葉にできないでいた。
業を煮やしたディレクターは被告に対する暴言を並べ、由美子さんから直情的な、怒りの言葉を引き出そうと躍起になっていた。
しかし被害者遺族の感情は、それほど単純なものではないのだろう。宮本被告に対する憤怒の感情が消えないのは当然としても、2年という時間の中で宮本被告に対する感情も不安定に変化し、思いがけぬ“交流”に発展することもあるのだ。
というのも、私は由美子さんが宮本被告に送った手紙や、宮本被告からの返信を目にしていたのだ。由美子さんの承諾を得て、一部を紹介する。
「大量の浩志さんとのラブショットの数にも負けていません!」
由美子さんは控訴審が始まろうかという今年5月、誕生日が迫っていた宮本被告にお祝いの言葉をしたため、こう続けた。
《思い返せば(真優子は)めちゃお父さんとお母さんの事をいつも心配してくれて、25年間の短い人生ではありましたがたくさんの優しさをもらって、あの日常も今は懐かしい思い出です。このメモリーは大量の浩志さんとのラブショットの数にも負けていません! またいつかお会い出来る日でもあればいいかなと勝手に思っていますが…夜分はまだ肌寒さも感じられます。お体にはどうぞお気を付けてお過ごしください》
憎んでしかるべき相手に対して、「また会いたい」と伝えた由美子さんの真意とは何だろうか。もしかしたら、控訴しておきながら、裁判所に姿を現すつもりのない被告に対して、出廷を請う願いが遠回しに込められているのかもしれない。
そして、宮本被告から5月31日付けの返信が届く。
《真優子さんはご両親が大好きだとよく話をしてくれました。父親が片足不自由ながら一緒にマラソンした話のときには写真を見せながら『すごくないですか。すごいとおもいませんか?』と誇らしげに話をしていました。(中略)よく『名前の通り、真に優しい子だね、君は』と返したことを思い出します。真優子さんに対しては、今も感謝しております。もし、今、彼女に贈る言葉としては『ありがとう』以外に思い浮かびません》
そして、「真優子さんと自分は性格が正反対」とも書いている。
このような素敵な娘を育てたご両親がすばらしい方だということは容易に想像できます
《真優子さんには何事にも挑戦していく姿勢、そしてそれをやりぬく力があることを感じました。これは私には持っていないものです。『健気(けなげ)』という言葉がありますが、これはまさに真優子さんのための言葉だと感じます。ただ単に『甲斐甲斐しい』という意味だけでなく、元来持っている意味の『年齢や体力に似あわず勇ましい』つまり勇気を持って何事にも挑戦していく姿を見て、私には出来ないことをしているこの子はすごい、尊敬するなあと心に思っていました。
(中略)色々ご苦労されたかと存じますが、このような素敵な娘を育てたご両親がすばらしい方だということは容易に想像できます。小職に対して、あのような手紙をしたためることができる方には頭が上がりません》
しかし真優子さんの死の真相については一言も触れず、一方的に「ありがとう」という感謝の言葉を綴る被告に対し、母の由美子さんは次の手紙で疑問と揺れる感情をぶつけている。
《今、まゆっちに贈る言葉は『ありがとう』と尊敬の思い? となると謎は深まるばかりですが……同封したのは4年前12月一緒に食事に行って帰りにもらった手紙です。この約1年半後もっと果てしなく強く丈夫な大人になってく過程での絶命は無念です。何故? どうしてwhyなんで 台風も近づいている気配の昨今ですが、その前に低脳な私の頭の中では疑問の嵐が渦巻いています》
控訴審の期間中、稲田家では三回忌の法要を迎えようとしていた。
「もし良ければ令和3年6月凄惨な犯行当日から二年後の命日の同時刻に合掌でもしていただけると幸いかと思っています。浩志さんのご健康をお祈りしております」
その数日後、再び被告から手紙が届く。
《疑問が渦巻いているとのこと。巷間で小職のことをどのように伝えられているかは具体的にはほとんど知りません。おそらく無責任で適当な情報も多く流れていることでしょう。情報が満ちあふれている中で、正否の判断がつかずにご混乱されているのではないでしょうか》
怒りの感情を押し殺す由美子さんのことを、被告は「ご混乱されている」と表現している。
《また、夜は21時が就寝と決められており、時計もないので同時刻に合掌することは無理です。しかしながら、朝晩、祈念供養を自分なりにしております。(中略)もし可能ならば、真優子さんが好きだと言っていたお花(ガーベラ)を一輪でいいので、仏前に添えていただければ幸いです》
ついに「凶器で刺してる時はどんなお気持ちでしたか?」と怒りが…
手紙でも殺害の真相を語ろうとせず、謝罪の言葉もない被告に対し、いよいよ由美子さんの怒りも沸点に達した。再審判決の直前の手紙に由美子さんはこう書いた。
《頭部と顔面を殴打し頸部および胸を凶器で刺してる時はどんなお気持ちでしたか? 浩志さんのことは絶対誰にも言わないから…と命乞いはなかったのでしょうか? もしかしてこの手紙が届いている頃は七夕も過ぎ、判決後かもわかりませんがそれより前でしたらぜひ出廷していただきたいと思っていますがやはり無理でしょうか?》
しかし判決の日、宮本被告が大阪高裁に現れることはなかった。
私は判決を終え、帰路につこうとしていた由美子さんに手紙の真意を訊ねた。
「どうして犯行に及んだのか、私が知りたかったのはそれだけなんです。せめて裁判所に来て、罪を認めて欲しかった」
事件の真相が宮本被告の口から語られぬまま、懲役20年の刑が確定しようとしている。
(柳川 悠二)