「死を待っているのか」…揺れる水俣病認定基準 特措法施行から14年も健康調査なし

「公害問題の原点」から67年。水俣病の患者認定基準がいまなお揺らいでいる。平成21年施行の特別措置法で問題の最終解決が図られたはずが、同法の対象外となった未認定患者による集団訴訟で、大阪地裁は9月、原告128人全員を患者と認定。これに対し、国や熊本県などが控訴し、終結は見通せない。長期化の一因と指摘されるのが、不十分な実態解明だ。特措法は国による速やかな健康調査の実施を明記しながら、14年たった今も調査の「前段階」にとどまっている。
終わらぬ法廷闘争
「水俣病行政の根幹にかかわる問題」。今月10日、控訴した熊本県の蒲島郁夫知事は、地裁判決をこう評した。環境省も同日、「国際的な科学的知見と大きく相違する」との見解を示した。
水俣病の公式確認は昭和31年。これまでも集団訴訟は繰り返されてきたが、患者の認定基準という「根幹」を巡り、行政と司法判断との乖離(かいり)が改めて露呈した形だ。
水俣病はそもそも、49年施行の公害健康被害補償法(公健法)に基づき患者認定する仕組みだ。しかし、施行3年後に手足の感覚障害や運動失調など「複数の症状の組み合わせが必要」と基準が厳格化された。
これに対して未認定患者が起こした訴訟で、裁判所はより緩やかな基準で被害を認定。国は平成7年の一時金支給に続く「第2の政治決着」として、21年に「紛争を終結させ、最終解決を図る」特措法が施行された。
特措法では、公健法より広い症状を対象に設定し、210万円の一時金などを支給。公健法での患者認定が3千人(今年8月末)なのに対し、特措法では約3万8千人が救済措置を受けた。
それでも、問題は終わらなかった。対象の居住歴や年齢に「線引き」があったほか、施行3年後に申請が締め切られたためだ。
申請を退けられたり、締め切り後に水俣病の疑いが発覚したりした人たちが、25年以降に全国4地裁に起こした集団訴訟の一つが、今回の大阪地裁判決だった。9月27日の地裁判決は特措法の「線引き」を実質的に否定して原告全員を患者と認定したため、特措法の正当性が問われる格好となった。
迫るタイムリミット
原告側は訴訟を通して行政の救済姿勢を問題視してきたが、中でも強く指摘したのが、被害者団体などが強く求めてきた住民への聞き取りといった健康調査の遅れだ。
特措法は患者の救済だけでなく「政府は(原因物質)メチル水銀の影響や治療に関する調査研究を積極的かつ速やかに行い、結果を公表する」(37条)と定めている。
国はこれまでの間、医療機器「脳磁計」などを用いて水俣病に特徴的な感覚障害などを識別する手法の開発に取り組み、今年6月に調査への活用方法などを検討する研究班を立ち上げたばかり。
施行から14年。「調査の前段階。今後のスケジュールは決まっていない」(環境省関係者)のが現状で、実際に現地や地域住民への調査を実施する見通しは立っていない。原告弁護団の一人は「健康調査なしに水俣病が終わることはない」と批判する。
環境省は控訴にあたり「健康調査についても実施に向けた検討を加速する」と言及したが、原告が控訴を「死ぬのを待っているのか」と糾弾したように高齢化が進む中で、残された時間は限られている。
大阪公立大の除本(よけもと)理史(まさふみ)教授(環境政策論)は「最終解決には、加害責任が確定した国が被害者の完全救済に努めることが必要であり、健康調査を早く実施し、積極的に患者を掘り起こしていくべきだ」と指摘。「調査にあたっては、水俣病を診察してきた民間の医師や研究者によるこれまでの知見を活用していくことが望ましい」と話した。(地主明世)