岸田文雄「俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ」の筋違い…岸田派ブレーン木原が持った「拒否権」の威力

岸田文雄は首相として何を目指し、政権運営を通じて何がしたいのか。「何をしたいのかわからない…」。そんな風評が絶えない岸田官邸の実像に迫る。『鵺の政権 ドキュメント岸田官邸620日』(朝日新書) より、一部抜粋、再構成してお届けする。なお肩書などは取材当時のものである。
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「安倍さんもやれなかったことをやった」
衆参五つの補欠選挙の開票が続いていた。2023年4月23日夜、岸田は部屋着姿で住まいである首相公邸にいた。同居する長男で首相秘書官を務める翔太郎と一緒にNHKの開票速報を見ていた。時折、岸田の携帯電話が鳴った。自民党幹部からだった。速報で参院大分選挙区補選での劣勢が伝えられると顔をしかめた。

4勝1敗。自民は補選前に持っていた3議席から一つ増やした。結果が判明すると岸田は一安心した表情を見せた。
岸田はいつ、衆院解散・総選挙に打って出るのか。補選の結果を踏まえ、永田町の関心は、岸田の出方に集まった。「今、解散・総選挙は考えていない」。翌24日朝、首相官邸で記者団の質問に淡々と答えた。ただ、その夜、周囲にこう漏らした。「補選の結果は解散の判断に影響しない。解散は総裁2期目を考えたときに、一番良いタイミングでやる」自民党総裁の任期満了は2024年9月に迎える。岸田は2期目をめざし、周囲には総裁選に立候補する意欲を見せている。とはいえ、補選での4勝は、喜べるような内容ではなかった。参院大分はわずか341票差の勝利だった。衆院千葉5区は勝ったものの、接戦にもつれ込んだ。衆院和歌山1区は日本維新の会に敗れ、その勢いを見せつけられた。内閣支持率もウクライナへの電撃訪問などを好感し、上向いたが、2022年7月の参院選直後の水準までは戻っていない。なのに、1年以上も先の総裁選に照準を定められるのはなぜか。「俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ」 2022年末、岸田は元首相の安倍晋三の名を挙げ、高揚感を隠しきれない様子を周囲に見せた。
自信なのか、慢心なのか
岸田政権は2022年12月、国家安全保障戦略など安保関連3文書を改定し、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決めた。原発政策では、再稼働の推進だけでなく、建て替えや運転期間の延長に踏み込む方針を決定した。戦後日本の安全保障政策、東京電力福島第一原発事故後に堅持してきた原発政策を一気に大転換させた。だが、岸田はその説明を尽くし、十分な議論を行ったとは言いがたい。疑問を置き去りにした方針転換に世論の評価は割れている。自信なのか、慢心なのか。自民党総裁2期目を視野に入れる岸田は何をめざすのか。岸田やその周辺への取材を重ねると、どん底にあった2022年12月、政権最大のピンチを乗り切ったことが、その後の「転機」となったと口をそろえた。
「『乱気流』の中にいるようだった」
「なんとしても今国会で通したい。さらなる工夫を考えて欲しい」岸田は2022年12月、旧統一教会の問題を受けた不当寄付勧誘防止法(被害者救済新法)について、臨時国会での成立をめざしていた。その大詰めを迎え、野党から修正を迫られる中、岸田の指示で関係幹部が週末も調整を続けた。「まるで『乱気流』の中にいるようだった」。官邸幹部は当時をこう振り返る。参院選の最中の2022年7月8日、安倍が銃撃され、死去した。旧統一教会と自民党の関係が次々と表面化。岸田は「安倍派の問題だろう」と受け流し、対応が遅れた。独断で決めた安倍の「国葬」への批判も強まっていった。さらに、旧統一教会の問題や失言、「政治とカネ」などをめぐって閣僚らを相次いで更迭した。その更迭の判断も後手に回り、与党からも批判を浴びた。内閣支持率は続落。政権は迷走し、追い詰められていた。「臨時国会は間に合わない」。救済新法の成立について消費者庁幹部が早々に官邸幹部に伝えた。それでも「来年まで引きずっていいことはない」と成立にこだわったのが岸田だった。政権をなんとか立て直したい。そんな思いもあった。救済新法は12月10日、参院本会議で可決、成立した。岸田はこう漏らした。「一つの区切りはついた。かなり無理をさせたが」「岸田官邸の転機はこの時だった」。岸田と周辺の見方は重なる。岸田主導で政治と行政がかみ合い、危機を乗り越えたことが「自信」につながっているのだという。
「なぜ総理大臣になったの?」子どもの質問に困惑
年が明けた。岸田は1月4日、記者会見に臨んだ。「岸田政権の歴史的役割」に触れ、「これ以上先送りできない課題に正面から愚直に挑戦し、一つひとつ答えを出していく」と力を込め、新たに「異次元の少子化対策」を掲げた。先送りできない課題に取り組むのは、岸田として当然の役割でもある。では、首相として何をしたいのか。東日本大震災から12年を迎えた2023年3月11日、福島県相馬市を訪れた岸田は、子どもから「なぜ総理大臣になったのか」と聞かれた。「これはね、いろいろ語りだすと難しいんだけど……」。突然の質問に困った表情を浮かべた。「政治家になって、やりたいと思うことを実現する。やめてほしいと思うことをやめてもらう。総理大臣は一応、日本の社会の中で一番権限の大きい人なので、総理大臣をめざした」首相になる前から「やりたいことが見えない」との批判がつきまとっていた。岸田が掲げる「新しい資本主義」も中身が定まらない。憲法改正や拉致問題の解決などを訴えた安倍と比べると、その違いが際立つ。岸田はこう周囲に語った。「先送りされてきた課題はいっぱいある。この先いくらでも他の課題が出てくる。今はやることをやっていくしかない」
官僚が用意した答弁ライン「正確に守ってくれる」
首相として、やりたいことをやるのではなく、やらなければならないことをやる。そう思い定める岸田が次に見据えるのが「賃上げ」だ。「今年の春闘は、30年ぶりの賃上げ水準となっており、力強いうねりが生まれています。このうねりを地方へ、中小企業へ広げるべく、全力を尽くしてまいります」岸田は2023年4月29日、連合が主催するメーデー中央大会に出席した。首相の出席は2014年の安倍以来、9年ぶりだった。なぜ、賃上げなのか。「賃上げをすれば、負担増も納得してもらえる」。岸田はその狙いの一つをこう明かした。実際、負担増が待ち受けている。岸田政権は防衛力の抜本的強化に必要な財源を確保するため、増税する方針を打ち出している。異次元の少子化対策を実現するためにも負担増は避けられない。そのためには賃上げが必要だという理屈だ。だが、焦点の中小企業や地方にまで賃上げが広がるかは見通せない。なぜ、そのような施策や負担増が必要なのか。広く議論し、理解を得ようとしているのか。やるべき「大義」を盾に大方針を決めるが、聞かれたことには正面から答えない。そんな岸田の姿勢も定着しつつあった。「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と危機感を訴え、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有などを決めたものの、国会で問われても「手の内を明かすわけにはいかない」などと答えない場面が多かった。原発への回帰でも、既定方針を繰り返す姿勢が目立った。安倍は国会でいら立ちを隠さず、荒々しい言葉をぶつけ、問題視されることも少なくなかった。自民党幹部は岸田について「同じ答弁を繰り返せるのが強み。安倍さんとはそこが違う」と言い、答弁を批判されても、それを繰り返すことが苦にならないとみる。首相答弁を作る官邸スタッフはこうみる。「答弁ラインを伝えるとかなり正確に守ってくれる。『ここまでなら言っても良い』と基準を示すメモを極めて正確に守る」。官僚が用意した答弁ラインを守る結果、形式的な質疑が積み重なっていく。岸田本人にとってみれば、何度も質問に答えているので、きちんと説明している。そんな思い違いがズレをさらに増幅させているようにも見える。やりたいことよりも、やらなければならないことをやる。だが、納得が得られる十分な説明は後回しで、方針だけが決まっていく。そんな岸田の実像が浮かび上がる。
官邸を支える2人の番頭
「やりたいことよりやるべきこと」。それが岸田の統治の手法とするならば、岸田にとっての「やるべきこと」とは、どのように決まっているのか。岸田官邸の1年半を振り返ると、数ある政策課題の取捨選択には、2人のキーパーソンの存在が浮かび上がる。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対メキシコ戦のテレビ中継に多くの人が釘付けになっていた2023年3月21日午前、岸田はウクライナで列車に揺られていた。前夜、外遊先のインドのホテルを裏口からひそかに抜け出し、ポーランドを経て、陸路でキーウをめざしていた。ホテルに取り残された首相秘書官は、岸田が出発した後に計画を知らされたという。「岸田総理がウクライナを電撃訪問」のニュース速報が流れたのは、ちょうど九回、無死二塁で日本代表の村上宗隆に打順が回ってきたときだった。電波で居場所を知られないよう、携帯電話の電源を切り、外部からの電波も遮断。通訳などの外務省関係者や警護のSPも絞り込み、随行者は10人足らず。穀倉地帯を走る列車の中に、岸田と深夜までゼレンスキー大統領との会談の打ち合わせをしていた2人の側近の姿があった。首席首相秘書官の嶋田隆と官房副長官の木原誠二。政権の機微に触れる重要な政策決定には、必ずこの2人が関わる。2023年2月に発表されるまで、保秘が徹底された日本銀行総裁の後任人事。2人は数カ月前から、水面下で候補者のリストアップを進めてきた。
経産省へ直接指示 まるで「嶋田資源エネルギー庁長官」
嶋田は岸田と同じ開成高校の2年後輩。東大卒で通商産業省(現・経済産業省)に入り、事務方トップの事務次官も務めた。官房長官や財務相を歴任した故与謝野馨の信頼が厚く、閣僚になるたびに秘書官として起用された。東京電力福島第一原発事故の後は、原子力損害賠償支援機構の理事や、東電取締役に就き、東電の経営再建を主導した。嶋田の職場は、岸田や官房長官の執務室が並ぶ首相官邸の最上階、5階にある。秘書官室にはコの字形に机が配置され、左右に居並ぶ秘書官全員が見渡せる中央に嶋田が座る。嶋田の背中の向こうには、扉を挟んで岸田の執務室がある。岸田へのあらゆる報告はすべて嶋田がチェックし、岸田の指示は嶋田が差配した。嶋田は思い入れの強いエネルギー政策には自ら首を突っ込む面もある。退官後、富士フイルムホールディングスの社外取締役などを務めていたが、2021年9月の自民党総裁選の結果が出る数日前、岸田から「もし勝ったら、やってほしい」と誘われた。岸田の長男、翔太郎と同じ「政務秘書官」として、各省庁のエース級が集まる秘書官を束ね、岸田に最も近い場所で執務に臨む。物価高騰を受けた電気料金の値上げ抑制策や、原発の建て替え(リプレース)を含む政策転換をめぐっては連日、経産省に直接指示を出し、書類も自ら書いた。その細やかな働きぶりをある事務秘書官はこう表現した。「『嶋田資源エネルギー庁長官』、いや『嶋田課長』といってもいいぐらいだ」だが、政策全般では、嶋田が率いる官邸スタッフによる省庁への「介入」は抑制的と言える。岸田政権が「適度な政治主導と適度な行政の推進」(首相周辺)を重視しているからだ。経産省の同期で第2次安倍政権では首席首相秘書官を務めた今井尚哉は重要政策を自ら主導していた。対する嶋田は政策の実務を粛々と進めるタイプだ。第2次安倍政権では、官房長官の菅義偉が「内政は全部、俺に任せてくれている」と周囲に語る一方、あらゆる政策に口を挟み、「反対するなら異動してもらう」とも公言。官邸主導で政策が進む一方、「官邸に箸の上げ下ろしまで指図される」(経済官庁幹部)と官僚の萎縮を招いた。岸田政権では、岸田の意を受けた官邸が重要な判断や方向性は示すが、官僚の専門性に委ねる。ある省庁の幹部は「首相は決められないと言われるが、それだけ意見が上がっているということだ」と話す。嶋田自身、官邸と現場の省庁がそれぞれの役割を発揮したケースを経験している。史上初めて震度7を連続記録した16年4月の熊本地震の時だ。当時、経産省ナンバー3の官房長だった嶋田は官邸の命を受けて現地で省庁幹部が集う会議の事務局長を務め、生活インフラの復旧から被災者の健康管理まで、省庁をまたぐ対応を担った。災害の初動対応がスムーズに進んだ好例として、霞が関では熊本の頭文字と幹部の人数を取って「K9」と呼ばれる。
「木原さんには『拒否権』がある」
これに対し、アクセルとブレーキを使い分けて、政権の浮沈に関わる重要政策をコントロールしているのが、木原だ。「異次元の少子化対策に挑戦する」。2023年1月4日、岸田が年頭の記者会見で打ち出した少子化対策に「異次元」の言葉が躍った。奇をてらわない岸田らしからぬ言葉選びもさることながら、官邸スタッフが驚いたのは、児童手当の拡充を柱に掲げたことだ。財務省は児童手当の拡充は少子化対策への効果が薄いと否定的だった。なぜ、「終わった話」(財務省幹部)の児童手当が突如、重要施策に躍り出たのか。木原は、首相会見から2日後の報道番組で「異次元」の名付け親は「私ではない」とけむに巻いた。だが、財務省幹部は「『異次元』と言い出したのも、(目玉政策の)児童手当の拡充にこだわっているのも、木原さんだ」と言い切る。木原は東大法学部を卒業後、財務官僚を経て05年に初当選。岸田派の政策ブレーンとして頭角を現し、派閥では事務局長を務める。岸田が総裁選に出る際の公約も手がけたとされる。反面、「支持率に一喜一憂するべきだ」と、世論には人一倍敏感な側面も併せ持つ。
コロナ禍が落ち着きを見せ始めた2022年6月、国土交通省は冷え込んだ旅行需要を回復させるため、地域内の旅行に限った支援策「県民割」を、都道府県の判断で全国から受け入れられるよう拡大する計画を官邸に示した。秘書官の多くは前向きだったが、木原の答えは「ノー」だった。「(7月の参院の)選挙前に、都道府県にリスクを押しつけるなんてとんでもない」。実施は最終的に10月までずれ込んだ。ある経済官庁の幹部によると、世論の反発を先読みし、コロナ対策の緩和にストップをかけたのも木原だったという。幹部は「嶋田、木原は岸田を頂点とした二等辺三角形ではない。木原さんには『拒否権』がある」と解説する。岸田が自らの政権構想をまとめた著書『岸田ビジョン』には、こんな記述がある。絶えずトップダウンでは国民の心が離れていってしまう。絶えずボトムアップではなかなか決められない。官僚からのボトムアップを重視する嶋田と、官邸からのトップダウンを指揮する木原。岸田は役割が異なる2人の「番頭」を据えることで、自ら掲げたビジョンを実践しているように見える。だが、官邸が省庁の幹部人事を掌握するため、第2次安倍政権時代の14年につくられた内閣人事局は今も健在だ。圧倒的な人事権を背景に官邸が官僚を抑え込む可能性は、今もくすぶる。あるベテラン官僚は、「秘書官が資料の『てにをは』にまで口を出し、司令官みたいになっている」と語る。政府関係者は、かつてのように官邸からの圧力が強まりつつあることを懸念する。「政権発足当初は風通しが良かったが、官邸スタッフと霞が関の官僚の間に摩擦が起き始めている」文/朝日新聞政治部 写真/Shutterstock
#1『自民党幹部「岸田政権は鵺(ぬえ)のような政権だ」…発足当初から不安を募らせていた故・安倍晋三が菅義偉にしていたお願いごと』はこちらから#2『「専門家に言わせておいて、世論を見て追従」政治的判断ができない岸田政権…オミクロン株で大迷走!「繰り返された過ち」』はこちらから
『鵺の政権 ドキュメント岸田官邸620日』(朝日新書)
朝日新聞政治部 (著)
2023/9/13
¥979
240ページ
978-4022952332
史上最も正体がつかめない政権のヴェールに包まれた虚像を浮き彫りにする!岸田官邸の最大の危うさは、政治ではなく行政のような「状況追従主義」にある。先手は打つが理念と熟慮に欠け求心力がなく、稚拙な政策のツケはやがて国民に及ぶ。迷走する政権の深層を克明に捉えた、「朝日新聞」大反響連載「岸田官邸の実像」、待望の書籍化! <目次>第1章 政権発足第2章 オミクロン攻防第3章 国葬の代償第4章 辞任ドミノ第5章 日韓外交第6章 ウクライナ訪問の舞台裏第7章 岸田官邸の実像 第8章 識者はどうみる終章 G7広島サミット