菅直人元首相の次期衆院選不出馬で浮かぶ思惑 「反維新」に執念、”大阪殴り込み”に含み

立憲民主党最高顧問の菅直人元首相(77)=衆院東京18区=が11月5日、地元・武蔵野市で記者会見し、次期衆院選不出馬による政界引退を正式表明し、同選挙区の後継候補に松下玲子武蔵野市長(53)を擁立する考えを示したことが、政界に複雑な波紋を広げている。
菅氏は初当選が1980年衆院選で、現在14期目。首相経験者としては麻生太郎自民党副総裁と同期という長老議員だが、市民運動家としての中央政界デビューから、首相にまで上り詰めたという特異な経歴の持ち主だけに、今回の不出馬表明の真意を巡ってもさまざまな憶測が飛び交っている。
とくに菅氏は、野党実力者の中でも「反維新」の急先鋒で知られる。「政界引退会見」でも、状況次第で次期衆院選で維新が支配する大阪への“殴り込み”出馬にも含みをもたせたことから、立憲民主と野党第1党を争う日本維新の会も、菅氏の言動に神経を尖らさざるを得ない状況だ。
市民運動家から首相という特異な経歴
菅氏は1980年衆院選で、社会民主連合(社民連)の候補として初当選して以来当選を重ね、議員生活は現在14期43年間。衆院では小沢一郎氏(18期)、中村喜四郎氏(15期)に次ぐ長老議員だが、市民運動家として大きな政党や組織に頼らずに当選し、1993年と2009年の2度の「政権交代(自民下野)」にも関わるなど、他に類のない政治経歴が際立つ。
菅氏は1994年の社民連解散後、新党さきがけに入党して自社さ連立政権に参加し、1996年の第1次橋本龍太郎内閣で厚相に就任。その後、民主党結党に参画し、鳩山由紀夫氏(元首相)、小沢一郎氏(元自民党幹事長)との「トロイカ体制」を構築し。2009年のいわゆる「政権交代選挙」での旧民主党政権樹立の立役者の1人となり、同政権初代首相の鳩山氏の後継として約1年3カ月間、政権を率いた。
その中で、首相在任中の2010年6月の唐突な「消費税率10%」発言が直後の参院選での民主党敗北につながった。さらに翌2011年3月11日発生の東日本大震災による福島原発事故では、「首相としての“暴走”ともみえる対応」(首相経験者)が疑問や批判を招くなど、トップリーダーとしての「功罪」も問われ続けてきた。
こうした経緯も踏まえ、菅氏は5日の会見では、43年間の議員生活を振り返り、厚相時代の1996年に国の責任を認めて謝罪した薬害エイズ問題や、首相として対応に奔走した2011年の東日本大震災などについて、時折笑みを交えながら淡々とした口調で語った。
「妻とのあうんの呼吸」で引退を決断