登山者の遭難や事故が後を絶たない。コロナ禍のアウトドア志向の高まりと、その後の登山人気が再燃したことが影響しているようだ。
昨年の山岳遭難は、発生件数が3015件(対前年比380件増)、遭難者3506人(対前年比431人増)となり、統計の残る1961年以降最多となったという(警察庁調べ)。
「危険だが快感を伴う行為」の危うさ
遭難者のうち40歳以上が8割弱で、60歳以上が過半数を占めているほか、年を追うごとに単独登山者の人数が増えており、遭難者に占める単独登山者の割合も増加傾向にある。ニュースで話題になるたびに、周囲の人々や関係機関などに多大な負担を強いることから、批判の的になることが多い。
確かに識者からは準備不足や過信などが指摘されており、体感的なリスクと実際のリスクのずれが悲惨な結果を招いていることは間違いないだろう。しかし、それだけでは物事の一面しか語っていない。「自らリスクに飛び込む興奮」に無自覚であることが心理的な背景として考えられるからだ。
近年、スカイダイビングやロッククライミング、モータースポーツなど「危険であるが快感を伴う行為」を指す「エッジワーク」(edgework)の観点から、人々がリスクを取る動機を解明する研究が進んでいる。登山は、レジャーにカテゴライズされがちだが、そもそも危険なスポーツであることがあまり認識されていない。
山に登ること自体に喜びや楽しみを見い出し、人格形成や精神への影響など、人生の糧に位置づけるような近代登山は、18世紀にヨーロッパで登場した。日本にもその思想が輸入され、少しずつ大衆化していった。ここで確立されたのは、自らの技術と経験によって山を「征服」し、自然の美に「開眼」する様式だ。
エッジワークは、社会学者のスティーブン・リンが提唱したリスク社会学の概念である。リンは、大半の人々がリスクを最小限に抑えようとする一方で、スポーツなどで怪我や死のリスクを積極的に高める人がいるという逆説を解くカギとして、「経験そのものが持つ強烈な魅惑性」に着目した(Stephen Lyng“Edgework:The Sociology of Risk-Taking”Routledge)。
これには、2つの方向性がある。1つは社会的な役割からの逸脱であり、もう1つは複雑化し専門化し、なおかつ移り変わりが激しいゆえに柔軟性を求められる現代において、よりよく機能するための基礎的なスキルの涵養である。わかりやすく言い換えれば、「解放性」と「自己啓発性」になるだろう。
山を征服したいという欲求