―[言論ストロングスタイル]― ◆なぜ皇室は必要なのか 誰もが一度は疑問に思うだろう。「なぜ天皇って、日本の象徴なの?」「なぜ皇室って、必要なの?」と。 戦前までなら、簡単に答えられた。「天皇は日本で一番偉い人」「皇室は神様の子孫だから」と。 ところが、戦争に負けてからは「皇室は神様の子孫」と言ってはダメになった。占領軍に命令されてそうなり、独立を回復した今も惰性で続けている。私なんか別に言っても良いと思うのだが、必ず「それは学問的ではない。事実に反する」と反論されてしまい、そうした意見の人たちの声が大きい。 問題は、そういう教え方を禁止されてしまう状況、つまり負けた原因だ。日露戦争に勝った後の日本人の平和ボケは枚挙に暇がない。大日本帝国の「どうやったら負けるのか」という状況から、信じられない失敗を連発して遂には滅びた。要するに、愚鈍化したのだ。 ◆日本人を平和ボケさせた歴史教育 愚鈍化の原因の一つに、行き過ぎた皇国史観教育がある。行き過ぎた皇国史観教育とは「神話も含めて、教わった内容を事実だと信じよ」との教育だ。どこの国に神話をすべて事実だと教える国がある? 敗戦後は反動で、今度は「脱・皇国史観」がいきすぎて、少しでも疑いがあれば事実ではないとの扱いにされた。片っ端から、神話や伝説は否定されていった。そんな教え方をしているのも日本くらいか。普通の国は、考古学で神話を確かめる。もちろん、神話のすべてがそのまま史実な訳が無いが、「どうしてそのような伝わり方をしたのかという事実」は歴史学の対象である。ところが、「脱・皇国史観」では、「事実ではない」で切り捨て、顧みない。むしろ「疑わしきは切り捨て」では、何も事実は分からなくなるだろうに。 よく、「神話を忘れた民族は100年以内に滅びる」と言われる。誰がどうやって統計を取ったか知らないが、日本にそのまま当てはめるのには無理がある。なぜなら、日本人は神話や伝説を、可能な限り正直に書き記しているからだ。だから結論が「よくわからない」になる。神代は神話、神話と歴史の中間が伝説、そしてはっきりとした歴史。日本で最初にまとめられた歴史書である『古事記』は、神話・伝説・歴史の三巻構成だし、正史である『日本書紀』も三つを分けている。 ◆古代史の結論は「よくわからない」 まず、天地開闢(この世が誕生した時)の神様の名前が、『古事記』と『日本書紀』で違う。『日本書紀』は正史なのに、「一書に曰く」と異説を並べる。しかも大事な部分に限って異説が多い。結論は「よくわからない」で、「こんな風に伝わってきた」と正直に書いている。