[終わらぬ混迷 兵庫内部告発1年]<5>
兵庫県知事の斎藤元彦のパワハラなどの疑惑が全国的に注目を集めるようになったのは、疑惑を内部告発した前県西播磨県民局長の男性職員が昨年7月7日に死亡してからだった。
男性職員は自殺とみられるが、その理由はわかっていない。しかし、SNS上では、斎藤に責任があると断定する投稿が相次ぎ、テレビの情報番組でも同様の発言をするコメンテーターがいた。
新聞やテレビ、週刊誌が、内部告発問題を連日取り上げていた頃、兵庫県伊丹市の医師の男性(58)は、斎藤を「悪者」と思っていた。しかし、昨年11月、知事選の候補者討論会をユーチューブで見て衝撃を受けた。
立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志が、男性職員が死亡したのは、公用パソコンに保存していた私的情報の発覚を恐れたからだと主張し、メディア批判を展開した。
その後、男性は立花の動画を毎日見るようになった。斎藤批判一色だったメディアに不信感を抱くようになり、選挙に入ると報道が激減したことにも疑問を持った。
「立花さんは兵庫の闇を暴いてくれた。メディアは情報を隠している」
知事選で広がった「メディア不信」。火種は、選挙の2か月以上前の8月に生まれていた。
東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)のX(旧ツイッター)の分析を基に、読売新聞が投稿の推移を確認したところ、男性職員が死亡した7月以降、X上でも斎藤を支持しない投稿が大勢を占めていた。
しかし、県議会百条委員会が実施した職員アンケートに基づき、パワハラや贈答品受領の疑惑が盛んに報じられた8月中旬から、斎藤を支持する投稿が増え始めた。斎藤への不信任決議が県議会で可決される前後の9月中旬には、初めて支持が不支持を上回った。
この分析とは別に、ユーザーローカル社のSNS分析ツール「ソーシャルインサイト」を使って読売新聞がXを確認しても、9月以降、斎藤関連の投稿で、メディア不信を意味する「マスゴミ」「偏向報道」との文言が増えていた。
兵庫県西宮市の自営業女性(62)は、「おねだり」などと斎藤を揶揄(やゆ)するテレビ報道に疑問を持ったという。「面白おかしく報じようとしていると感じ、不快だった」と振り返る。
斎藤の疑惑を巡る報道は、9月30日に斎藤が失職した後、知事選が事実上スタートし、衆院選が行われたこともあって激減した。読売新聞では、知事選の関連報道は続けていたが、疑惑に関する記事は減った。
テレビでも同様だった。読売新聞が、昨年7月から知事選の投開票日前日の11月16日までに在阪民放4局がユーチューブに投稿した斎藤や知事選関連のニュース動画を確認したところ、計299本のうち9割が失職するまでのもので、知事選告示後は4本しかなかった。
一方、立花が告示後に投稿した知事選関連の動画は120本確認され、総再生数は民放4局合計の55倍に上っていた。
新聞やテレビが、選挙期間中に「政治的公平性」から沈黙し、その空白に「メディアが報じない真実」などと主張する立花が入り込んだ構図が浮かぶ。
読売新聞は男性職員の死亡を伝えた昨年7月9日の記事で「男性職員は公用パソコンで作成した私的な文書などの提出を百条委に求められる可能性が強まり、百条委側に『プライバシーに配慮してほしい』と要請していた」と報じていた。その後も複数回報じたが、私的情報の中身を取り上げることはなかった。告発内容の真偽と関係がなく、死亡した理由との関係も検証が困難だったからだ。
立花はほかに、今年1月に死亡した前県議が斎藤を陥れた「黒幕」とする主張も繰り返していた。別の県議から渡された出所不明の文書などに基づく主張だが、SNS上の一部で「真実」と受け止められ、今も拡散し続けている。
神戸市中央区で衣料品店を営む男性(60)は以前から斎藤を支持し、立花の主張が「真実に近い」と考えたこともあって斎藤に投票した。しかし、選挙から4か月たってもSNS上で真偽がわからない過激な投稿が飛び交い続けていることにうんざりしている。
「何を信じたらいいのか」
男性は、斎藤の情報は、テレビや新聞、SNSでも見ることをやめたという。(敬称略)
選挙期間中も報道を…曽我部真裕・京都大教授(情報法)
斎藤知事を巡る報道は、特にテレビの情報番組では表現に過剰な部分があった。それが選挙に入ると一転して沈黙したことが、メディア不信を招いた一因だろう。選挙期間中でも有権者にとって重要な情報は報じるべきだった。メディアに不信感を持つ人は、社会に不満を抱いているとの調査もある。メディアはそうした人の声にも耳を傾け、取材に基づいた正確な事実を伝えていくことが重要だ。