日本はどのぐらい「開かれた国」なのか?
外国人の観光客や就労者の増加は、人口減少が続く日本経済を支える明るい材料として期待されている。一方、外国人の日本での仕事探し、永住権から日本国籍取得における実態や苦労について、我々はほとんど知らないのではないだろうか。
英米で10年を過ごし、世界30カ国以上での経済調査の経験を持つ加藤航介氏が、日本では極めて少数の外国出身の政治家(区議会議員)であるオルズグル氏のインタビューより、日本の開国度の現実と課題を紐解く。
*この記事の続き:「失礼ですが、旦那様とは偽装結婚ではないですよね…?」日本を愛して来日し、永住権を持つ外国人女性が経験した”日本の見えない壁”
「ひらがな」に魅せられて
「13歳のとき、日本語の『ひらがな』に初めて出会った瞬間を今でも覚えています。まるでアート作品のような美しい曲線に、目が離せなくなったんです」
【写真を見る】「旦那様とは偽装結婚ではないですよね…?」日本を愛して来日し”日本の見えない壁”に直面したウズベキスタン生まれのオルズグル氏、その素顔
オルズグル氏は1980年代のソ連崩壊前夜のウズベキスタンに生まれた。
シルクロードの中心としても栄えたウズベキスタン。多くの世界遺産があることでも有名だ。
子どもの頃から勉強好きで、小学校から飛び級し、14歳という若さで大学へ進学。
「大学での専攻は迷わず日本語学科。中央アジアで著名な日本語教育機関で学びました」
「その後、18歳で大学を卒業して、大学院に進みます。日本語に加え国際ビジネスも学びながら、日本語通訳の仕事、シルクロードや世界遺産の観光などに訪れる日本人観光客へのガイドをして、ますます日本への想いが強くなりました」
ガイドなどで知り合った日本人の言葉使いが丁寧で、相手への配慮を感じられるところに大きな好感を持ったという。
彼女はすでに日本で18年近く生活をしているが、日本の何にそれほどまで惹かれるのだろう?
「日本の魅力ですか? 語り出したら止まらなくなりますよ!」
オルズグル氏は笑いながら、日本への愛着を楽しそうに語ってくれた。
特に彼女が強調するのは、四季の美しさ、温泉文化、そして和食だ。
「日本の四季と温泉が大好き!」
「初めて桜の花を見たとき、あまりの美しさに言葉を失いました。学校で、日本人は季節を大切にすると習ったのですが、その理由が一瞬でわかりました。そして、どの季節にも違う美しさがあって、毎回新鮮な感動がありますね」
さらに、彼女は温泉にも並々ならぬこだわりを持つ。「源泉かけ流し」の温泉を求めて各地へ足を運ぶという。和食の魅力にも惹かれ、調理師の資格を有する義母からの厳しい和食指導を受けた。
「日本料理を学ぶことは、季節ごとの食材や、料理人の技術の細やかさなど、日本を学ぶことだと感じます。日本という国がますます好きになりました」
異文化から来た外国人の視線は、日本人である私たちにも改めて自国の魅力を気づかせてくれる。
しかし、そんな彼女が日本で暮らすうえで、我々が経験しない「大きな困難」が待ち受けていたという。
まずは仕事探しである。
ウズベキスタンで大学院を卒業し、現在の夫である日本人男性との出会いを果たし結婚、2007年、21歳で日本へ移住する機会を迎えた。
しかし愛する夫との幸せな新婚生活に浸る間もなく、彼女の前に就職活動という「高い壁」が立ちはだかったのだ。
「日本に来る前は、仕事探しについては、自信満々でした。旧ソ連のトップクラスの大学で学んでいましたし、4カ国語も話せました。『日本でもすぐ仕事は見つかるでしょ』って。でも、現実は想像と全然違いました」
「53社から不採用」外国人が直面する日本の就職の壁
日本に来たのだから、外資系企業ではなく、日本企業に入りたい。しかし、すでに大学院を卒業済みの彼女は、新卒採用の枠組みに入れないのだ。
そして中途採用には若すぎる。海外の学校に交換留学などをして、新卒の就職活動に入れなかった、仕方なく1年留年をして学費を払ったというケースは日本ではままあることだ。
「面接した会社だけで53社に断られました。当時の私には『新卒』『中途』という日本の独特の考え方が理解できなくて、何をアピールすればいいのか、非常に戸惑いました」
また、外国人であるという理由で、厳しい質問も次々飛んできた。
「『日本の大学を出てないのですか?』という質問が多かったのは驚きました。ずっと日本が好きで、日本のことを学んできたのに、まったく受け入れてもらえない。正直、心が折れそうでした」
彼女の声には、当時の悔しさがにじむ。
「人物」の評価ではなく、「枠」で語られてしまう。
採用側にとって、名前を聞いたことのある日本の大学、海外大学であるならハーバード大学などでなければ社内で説明ができなかったのだろうか。これが日本以外の外国であったら、ここまでの苦労はなかったのかもしれない。
「54社目で、物流会社に内定をいただいたときは、本当にうれしかったです」
ウズベキスタンでの通関士の資格も持っていたことも評価され、新卒枠での入社が決まった。
「入社した会社は、ザ・日本企業という感じでした。朝礼で社是を唱えたり、オフィスでは制服、外の現場では作業服での仕事でした。同期が90人ほどいましたが、この人たちとは今でも仲良くしています」
「国際物流業務などに関わりましたが、5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を徹底的に叩き込まれました」
日本でそんな充実した日々を送りながらも、オルズグル氏はさらに日本社会へ深く入り込んでいくことになる。
日本での起業である。
「物件が…」永住権があっても超えられない不動産の壁
「物流会社で学んだ経験を生かして、母国と日本を直接つなげる仕事をしたいという想いが強まっていきました」
「ウズベキスタン産のワインを日本に輸入するため、自分の会社を立ち上げようと考えました」
ところが、次なる壁に直面することになる。不動産契約である。
「この頃には、永住権を取得していたのですが、オフィスを借りようと不動産屋に行っても、まったく取り合ってもらえないのです。こんなに難しいとは思いませんでした……」
輸入業を始めるためには、オフィスと倉庫の住所が必要である。しかし、不動産会社や所有者からは「実績がない」「永住権はあるけど外国籍だから」と拒否されつづける。
「敷金などを多めに積むと言ってもダメで、何十件も断られます。物件を借りられなければ、輸入業の実績は作れません。でも実績がないと物件を貸してもらえないという板挟み状態で、出口が見えない状況でした」
「ようやく見つけた大家さんからオフィスを貸していただけることになり、何とか事業のスタートが切れました」
筆者が所属する会社では社員の4割ほどが外国人であるが、日本で物件を借りるときに他国には見られないハンディがあることには皆が口を揃える。
近年では、契約において保証人ではなく保証会社をつけることが一般化してきて、その程度は緩和されてきたかもしれないが、高齢者やシングルペアレントなどへの差別的慣習は根深く残っているのが現状なのだ。
「日本を開く」のは、私たち一人ひとりの意識から
オルズグル氏の経験からは、日本を目指して訪れる外国人が直面する現実と壁を見てとれる。
日本は「安全で住みやすい国」「外国人に優しい国」と言われる。たしかにその一面はあるだろう。
ただ、それは本当にすべての人に当てはまるのか?
外国人労働者、留学生、起業家が、常識的な「機会の平等」を感じられていないのならば、日本が「開かれた国」と言い切るのは難しい。
人口減少が続く日本は、「開かれた国」の本質を見極め、私たち一人ひとりの意識の変化も求められる。
「世界の人々の視点」を知り、「新しい価値観」を受け入れ、共に未来をつくる。それが、日本が真に「開かれた国」となるための第一歩となるだろう。
*この記事の続き:「失礼ですが、旦那様とは偽装結婚ではないですよね…?」日本を愛して来日し、永住権を持つ外国人女性が経験した”日本の見えない壁”
加藤 航介:WealthPark研究所代表/投資のエバンジェリスト