首都中枢を襲った無差別テロから3月20日で30年がたった。主導したオウム真理教元幹部らは逮捕され、死刑判決が確定してすでに執行された。未曽有の凶行にどう向き合い、何を感じたのか。後遺症に悩む被害者の支援活動に携わる医師と、元死刑囚とのやり取りを出版した宗教学の専門家に話を聞いた。(共同通信=地下鉄サリン事件取材班・渡辺健太郎)
▽後遺症、社会全体で支えを―聖路加国際病院の石松伸一院長(65)
地下鉄サリン事件の後遺症に悩む被害者と向き合ってきた聖路加国際病院の石松伸一院長
後遺症に悩む被害者と向き合ってきた。国主導の積極的な支援はなく、彼らは心身の不調と折り合いをつけながら自力で生活を取り戻すことを求められた。つらい思いを社会全体で受け止め、支えようとならなかったことは残念だ。テロ事件が今後起きないとは言い切れず、このまま同じことを繰り返してほしくない。
事件当日、発生現場に近い聖路加国際病院には負傷者が次々と運び込まれた。約640人が廊下や礼拝するホールにまであふれ、緊急手術以外は全て取りやめて医師や看護師らが総出で対応。私は救命救急センターと車寄せを何度も行き来しながら、心臓マッサージや治療の優先順位を決めるトリアージに追われた。
地下鉄サリン事件当時、患者が運び込まれた聖路加国際病院のホール=1月、東京都中央区
サリン中毒について大学で学んだ医師などおらず、私も、体調不良の症状は時間とともに快方に向かうものと思っていた。被害者の多くは病院を転々としても原因が分からずに行き場を失っていた。自信はなかったが、発生当初を知る自分が彼らを支えようと決め、NPO法人「リカバリー・サポート・センター」による無料検診に関わるようになった。
▽治療法がないもどかしさ
地下鉄サリン事件への対応のため、外来の受け入れを停止した聖路加国際病院=1995年3月20日、東京都中央区
治療法は確立しておらず、治すことも十分に説明することもできない。訴えに耳を傾けることしかできないことにもどかしさはいつもあったが、考えられる可能性を示すだけでも、彼らの気持ちを和らげることにつながるのならば、という思いで続けてきた。特効薬があるなら教えてほしい。
私もいつまで現役でいられるかは分からないが、彼らの支援に終わりはない。医療機関が門前払いすることなく、あらゆる不安や悩みを受け止められる仕組みが必要だ。 当時を知る数少ない医師として、若手職員や学生らに経験を話してきた。「まさかもう起きないだろう」といった考えが月日とともに広がっているように感じる。明日直面するかもしれないという危機意識は伝え続けていきたい。 × × × いしまつ・しんいち 1959年宮崎県生まれ。93年に聖路加国際病院へ。事件当時は救急部副医長。2021年から院長。
▽権力への反感、教義の下で殺人正当化―大阪大の川村邦光名誉教授(74)
宗教学者の川村邦光大阪大名誉教授
オウム真理教の幹部だった早川紀代秀(はやかわ・きよひで)元死刑囚との共著「私にとってオウムとは何だったのか」を、書簡のやりとりを通じて2005年に出版した。拘置所で1度だけ会ったが、非常に穏やかだった。真面目でこつこつとやるべきことに突き進む人だと感じた。ヨガ道場に通うつもりで後のオウムに入信したのは30代半ば。なぜ選んでしまったのか残念でならない。
オウムは1970年代から流行した「ニューエージ運動」や終末論の流れをくみ、当時の若者を引きつけた。世代の近い人たちが集まってともに汗を流し、一生懸命に打ち込める場を松本智津夫(まつもと・ちづお)元死刑囚=教祖名麻原彰晃(あさはら・しょうこう)=は提供した。 出家させ、身分を分けて競争させ、自身に帰依させた。教団が大きくなる過程で政治や権力に対する反感を募らせると、教義の下で殺人や犯罪を正当化していった。
▽死刑囚は罪と向き合えたのか
1995年4月、東京・赤坂署に移送された早川紀代秀容疑者(当時)
事件の結果を考えれば死刑は当然だとする人が多いが、肝心の麻原は何も話さないままだった。反省させ、言葉を残させる必要があったのではないか。死刑になった信者たちさえも、何もわからないままだった。改めて死刑は執行すべきではなかったと思う。
早川は逮捕後、麻原に失望した。自責の念があり共著では遺族に謝罪の言葉も記した。だが、自身の死刑判決には納得していなかった。被害者との向き合い方も中途半端に見えた。内省する時間がもっとあり、外部から働きかけ続ければ、彼も変化し、真の反省と償いに近づけたのではないかと思う。
事件から30年、死刑執行から7年。一般の人はもうほとんど関心がないだろう。オウムの信者は麻原のつくった世界の中で生きてしまった。今の若い世代は、内に閉じこもって個人主義に陥りがちに見える。同じような悲劇が起きるかどうかは分からないが、広い世界の中で自分がどこに立っているのか、常に考えることが必要だ。 × × × かわむら・くにみつ 1950年、福島県生まれ。専門は宗教学。早川元死刑囚の控訴審で弁護側証人として出廷した。