雅子さま “日帰り1200km”の公務に万博ご視察、“弾丸スケジュール”のウラに「20年越しのリベンジ」

4月7日、天皇、皇后両陛下は、太平洋戦争末期の激戦地である小笠原諸島の南部の硫黄島を訪問し、戦後80年にあたって戦没者を慰霊された。
「まさか同行できるとは思わず、本当に驚きました」
両陛下の硫黄島訪問に同行した西村さん
そう語るのは『全国硫黄島島民の会』事務局長で『全国硫黄島島民3世の会』会長の西村怜馬さん(43)。かつて硫黄島に住んでいた人々の暮らしの記録、発信を行っている。
「今回、両陛下の硫黄島訪問に同行させていただきました。懇談の際、島民の会の活動内容を説明させていただいたのですが、この時おふたりは私の目をしっかりと見ながら深くうなずいてくださって……。“何人くらいで活動しているのですか?”と質問をいただいたり、最後には“お身体に気をつけて、これからも頑張ってください”というおことばを頂戴しました」
両陛下の硫黄島訪問と西村さんの同行を誰よりも喜んでいる人物がいるという。
「’94年に、上皇ご夫妻が硫黄島を訪問された際、そのご様子を硫黄島出身の祖母とテレビで見ながら“うれしいね”と話していました。この話を両陛下にさせていただくと、おふたりは微笑んでおられました。祖母はもう亡くなりましたが、喜んでくれていると思います」(西村さん)
両陛下が硫黄島を訪れるのは、西村さんがテレビで見たという’94年、当時の天皇、皇后両陛下だった上皇ご夫妻が訪問されて以来、31年ぶり。
「この時、上皇ご夫妻は2泊3日の日程で、小笠原諸島の父島と母島にも足を運ばれています。硫黄島は東京から約1200km離れており、その立地の都合上、今回も泊まりがけで訪問されるのではとの見方が強かったのですが、日帰りのスケジュールが組まれ、これには関係者の間でも驚きの声が上がりました」(皇室担当記者、以下同)
大阪・関西万博の視察が控えていた雅子さま
弾丸スケジュールとなったのは、直後に控えていた“特別な地方公務”を考慮されたのが理由だと囁かれている。
「両陛下は硫黄島ご訪問からわずか4日後の4月11日から12日、『大阪・関西万博』の視察のため大阪府を訪問されました。雅子さまは’04年に適応障害を公表されて以降、今も体調には波がおありです。戦後80年の慰霊の旅を遂行しつつ、万全な状態で万博にも臨めるよう、硫黄島は日帰りで訪問されたのでしょう」
雅子さまにとって万博ご視察は初めてではないが、過去に苦い思い出があるという。
「雅子さまは’05年に愛知県で開催された国際博覧会『愛・地球博』を視察しておられます。しかし、この時は重い適応障害の症状に苦しんでいたころで、このご視察は雅子さまにとって1年8か月ぶりの地方公務というハードルの高い行事でした。万全とはいえない体調のせいか、時折つらそうな表情を浮かべられ、心配の声が上がりました」
だからこそ、雅子さまは今回の万博を楽しみにしておられたのではと『皇室の窓』で放送作家を務めるつげのり子さんは話す。
「雅子さまは知的好奇心の強いお方ですから、万博で新しい技術をご覧になるのを楽しみにされていたことでしょう。また、両陛下は万博の始まりを秋篠宮ご夫妻とともに迎えられました。皇居内の行事でご一緒されることはありますが、地方公務に並んでお出ましになることは珍しく、それほど万博は国を挙げた一大イベントといえます。雅子さまはパビリオンごとの展示を楽しまれたと拝察いたします」
大阪・関西万博では20年越しのリベンジなるか─。