「一人暮らしがしたい」新潟水俣病、公式確認60年 ただ一人の胎児性患者の願い

新潟水俣病が昭和40年5月31日に公式確認されてから60年となるのを前に、新潟県内でただ一人の胎児性水俣病患者である新潟市の古山知恵子さん(60)が19日、産経新聞の取材に応じ、「原因企業や行政は患者と真摯に向き合ってほしい」と訴えた。
新潟水俣病は、昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)鹿瀬工場の排水に混じっていた有機水銀が原因で発生。汚染された魚介類を食べた阿賀野川流域の住民らが、手足のしびれなどを訴えた。
古山さんは、汚染された魚を食べた母親のおなかの中にいたとき、胎盤から有機水銀が入り、県内でただ一人の胎児性水俣病患者となった。昭和45年、旧救済法に基づき水俣病と行政認定された。
古山さんに今の夢を聞くと「一人暮らしをしたい」と筆談で答えた。結婚して子供を産み、家庭を築くことはかなわなかった。せめて現在暮らしている障がい者支援施設を出て、「自由に一人暮らしがしたい。年令的に体力が落ちていくので、今がラストチャンス」という。
公式確認から60年となる5月31日、その歴史と教訓を後世に伝えるための式典が、新潟市内で開かれる。古山さん側は4月、原因企業として出席する同社の高橋秀仁社長に式典当日の面会を要望。同社は、予定が立て込んでいることを理由に断ってきた。
古山さんは式典で患者代表として話をする。訴える内容を聞くと、こんな答えが返ってきた。「新潟で水俣病が起きなければ、普通に結婚して家庭を持てたのではないでしょうか。私が障がい者市営住宅で一人暮らしができるようサポートしてほしい」。
また、古山さんを支える新潟水俣病患者会事務局の萩野直路さん(71)は「熊本県には胎児性水俣病患者の支援制度があるが、新潟県にはない」と指摘。古山さんや萩野さんは、原因企業や行政に対し、人生を壊された患者と真摯に向き合うことを求めている。