「生きた証を見ていただきたい」 天皇皇后両陛下が6月に訪問される広島の「被爆遺構展示館」 原爆で消えた街に暮らしていた人の思い

天皇皇后両陛下は6月、即位後初めて、被爆地広島を訪問されます。両陛下が平和公園で足を運ばれるのが、「被爆遺構展示館」です。展示館は、かつてこの場所に多くの人が暮らす町があったことを、今に伝えています。
原爆資料館東館のそばにあるのが、「被爆遺構展示館」です。現在は、平和公園になっている旧中島地区の住居や、道路跡などを展示しています。
■兵庫県からの観光客は…
「もとあった姿がこんな形になって…でも、今ね、何年も経ってこういう風に復興されて、本当によかったなあと心から思いましたね。」
旧中島地区の被爆遺構は、平和公園の一角で見つかりました。2019年の発掘調査で、側溝や家々を隔てていた石材などが出土しました。旧中島地区は、民家や商店が立ち並ぶ、広島一の繁華街でした。被爆当時、この場所に、4400人が暮らしていました。
■広島市国際平和推進部 被爆体験継承担当課長 坂本優治さん
「一般の方々の普通の暮らし、日常の暮らしがあったということを、まず知っていただき、そして原子爆弾によって、一瞬でその日常を失われてしまったということの悲惨さっていうものを、実感していただきたいと思っております。」
安芸高田市八千代町で暮らす、平野隆信さん(89)です。平野さんの家は、旧中島地区の材木町にありました。母親を病気で亡くし、父と4人のきょうだいで暮らしていました。
■平野隆信さん
「お寺がありましてですね。子どもの時は、そこで近所の子どもが集まってきて、鬼ごっことかかくれんぼとかして、本堂の下の方に隠れたりして、本当に静かな町でした。」
原爆投下の5か月前、平野さんたちきょうだいは、安芸高田市の祖母の家に疎開します。自宅に残った父・繁夫さんは8月6日に被爆し、亡くなりました。8日後、祖母と一緒に広島に向かった平野さんは、変わり果てた町を目にします。
■平野隆信さん
「想像もつかん…家がないんですから…ほいで、子ども心に歩けんようになって、がたがた…その状況を見てですね、これ何なんだろうと思ってですね。」
平野さんは、自宅の焼け跡から、普段使っていた鉄製のやかんを見つけます。その中に、父親の遺骨を入れて持ち帰りました。
■平野隆信さん
「これを残しておきたいと思って、大切に今、私の家に置いているんですが。このまんま、昔のまんまで洗ってもない、被爆した姿のまんまなんですけどね。父親の一つの形見だなと思って大切に保管して…」
確かにそこにあった多くの家族の暮らし…その痕跡を、天皇皇后両陛下がご覧になることになります。
■平野隆信さん
「当時の生活の模様、生きとった証しというものを当然見ていただいて、何かを感じていただけるでしょうし、(両陛下の)そういう姿を見て、何かをみんな感じていただきたいなあと。」
天皇皇后両陛下は6月19日、慰霊碑や原爆資料館とともに、「被爆遺構展示館」を訪れる予定です。