「基礎年金底上げ」と生活保護、どちらが高くつくか

「あんこのないあんパン」とも言われた政府が提出した年金制度改革法案は、立憲民主党の修正案を盛り込んで、自民党と公明党と立憲民主党などの賛成多数で衆議院で可決し、参議院に送られた。
「あんこ」とは、基礎年金の将来の給付水準の底上げにまつわる方策である。
この法案には、他にも年金制度を改善する方策が盛り込まれている。被用者保険のさらなる適用拡大策として、短時間労働者の適用要件のうち、賃金要件を撤廃して、いわゆる「106万円の壁」を段階的に撤廃することがその1つである。また、在職老齢年金制度について、支給停止となる収入基準額を50万円(2024年度価格)から62万円に引き上げることも盛り込まれている。
あんこ抜きでも、あんこ入りでも野党は批判していた?
この法案は、そもそも厚生労働省は、「あんこ」つまり基礎年金の給付水準の底上げを含んだ案として与党審査に諮っていた。
しかし、基礎年金の底上げ案は、政府が提出した法案からは外された。それを含む法案を国会に提出して審議が始まると、与党が今夏の参議院選挙で不利になるとの懸念からか、基礎年金の底上げ案の部分を削除した。それが、「あんこのないあんパン」と立憲民主党から批判された。
野党は「盛り込まなかったこと」を批判したのだが、与党が盛り込んでいたらどうなっていただろうか。それはそれで、厚生年金加入者が損をするとかと野党はきっと批判したに違いない。
基礎年金の給付水準を底上げするためには、財源が必要である。その財源の一部に、厚生年金の積立金を使うこととしたことから、厚生年金加入者を中心に「厚生年金積立金の流用」と批判されたことが、その背景にある。
結局、いずれにしても(違う理由で)批判だけをするのでは、与野党間で建設的な議論はできない。そして、困るのは国民である。
その観点からすれば、今般、与党と立憲民主党で、現在の年金制度を改善する策で意見が一致できたことは意義があろう。
では、基礎年金の将来の給付水準の底上げは、どのように行われるのか。
その話をするためには、なぜ底上げをしなければならないかについて確認する必要がある。それは、2024年6月に公表された公的年金の財政検証の結果に基づいている。
2024年の財政検証では、将来の日本経済に関する経済前提について4つのケースを設定して、今後の所得代替率(受け取り始めるときの年金額の、その時点における現役世代の平均手取り所得に対する割合)がどうなるかを示した。
その中で、成長型経済移行・継続ケースと過去30年投影ケースに焦点を当てて議論を進める。
年金のモデルケースは「正規雇用の夫+専業主婦」
2024年度の所得代替率は61.2%である。現行制度では、2017年度以降年金保険料率を引き上げず固定するという方式(保険料水準固定方式)を採っている。
その下で、この61.2%という所得代替率をおおむね100年後でも維持し続けたまま、今後の年金財政を破綻しないようにできるかというと、それは不可能である。特に、高齢化率がさらに上がることが見込まれており、現役世代の人口が減って保険料収入に限りがある状況では、給付水準を高止まりさせることはできない。
そこで、マクロ経済スライドを導入して、人口動態等に即して給付水準を調整する仕組みとなっている。したがって、財政検証での焦点の1つは、マクロ経済スライドを発動して(保険料率を上げない以上)年金保険料収入の減少に合わせて将来の給付水準を引き下げざるをえないが、どの程度まで引き下げれば年金財政が持続可能になるかである。
2024年の財政検証の結果、過去30年投影ケースでは、マクロ経済スライドを発動して所得代替率を50.4%まで下げれば、それ以降は維持できて、年金財政も持続可能となる。
ところが、この所得代替率は、計算上のアヤがある。
(良し悪しは不問として)定義により、所得代替率の分子となる「受け取り始めるときの年金額」は、「20歳から60歳になるまでの40年間に平均的な収入で働いた夫と40年間専業主婦だった妻」が1カ月も欠かさず年金保険料を払い続けたときに受け取れる年金額である。
すなわち、夫と妻の基礎年金2人分と、正規雇用され平均的な収入で働いた夫の報酬比例年金の合計額である。
だから、この50.4%の所得代替率は、基礎年金2人分の所得代替率と報酬比例部分の所得代替率に分解できる。それも、2024年の財政検証で示されており、基礎年金2人分が25.5%、報酬比例部分が24.9%となっている。
ただ、就職氷河期世代を中心に、非正規雇用者が増えた。低所得の非正規雇用者は厚生年金に入れないことが多く、基礎年金しかもらえない。しかも、経済的に困窮していることなどから未婚者が、それ以前の世代に比べて多い。そうすると、老後は基礎年金1人分の給付しかもらえないことになる。
すると、先の所得代替率にして約12.75%(=25.5÷2)である。50%よりはるかに低いのである。
老後の生活保障を年金で行うか、生活保護か
しかも、この所得代替率は、「40年間、1カ月も欠かさず年金保険料を払い、基礎年金を1人分満額で受け取れる場合」である。年金保険料を納付しなかった期間に応じて年金給付は減額されることになっている。
すると、現役時代に低所得の非正規雇用者となることが多く、未婚のまま老後を迎える人は、低年金・無年金に直面することになる。
それが元で、生活保護受給者になる高齢者が増えている。今や、生活保護受給者の過半は高齢者世帯である。しかも、その生活保護給付の財源は、全額税金である。
要するに、基礎年金の所得代替率が下がると、低年金・無年金の高齢者が増え、それに比例して高齢の生活保護受給者も今後さらに増えることになる。
これが、基礎年金を底上げする動機である。老後の所得保障は、できる限り生活保護ではなく公的年金で行えれば、それを支えるために必要となる税負担はより軽くなる。
とはいえ、基礎年金の給付水準を底上げするための財源の一部に、厚生年金の積立金を充てることを想定している。だから、厚生年金受給者は損をするーーとみる向きもある。
社会保障審議会年金部会で厚生労働省が試算とともに示した基礎年金の底上げ案によると、2024年の財政検証における過去30年投影ケースを基に、厚生年金積立金も一部活用しながら、基礎年金と報酬比例部分のマクロ経済スライドの調整期間を一致させる形で基礎年金の給付水準を底上げするならば、基礎年金2人分の所得代替率は33.2%、報酬比例部分の所得代替率は22.9%となって、両者合計の所得代替率は56.2%となるという。
基礎年金1人分の所得代替率は16.6%となり、これですべてが解決するわけではないが、老後の所得保障が公的年金で行われる度合いが増して、生活保護受給者になる高齢者がいてもその分生活保護給付は少なくて済む。
確かに、前述の通り、現行制度だとマクロ経済スライド終了時の報酬比例部分の所得代替率は24.9%で、それが22.9%に下がっているとも読める。マクロ経済スライドの終了年度も、現行制度だと報酬比例部分は2026年度、基礎年金は2057年度なのに比べて、厚生労働省の基礎年金の底上げ案だと両者ともに2036年度となる。
しかし、基礎年金と報酬比例部分を合計した所得代替率は、現行制度の50.4%から56.2%に上がることになる。厚生年金受給者にとっても全体の所得代替率は上がることになる。
しかも、基礎年金の底上げのために厚生年金積立金を「流用」しなかったら、厚生年金受給者は救われるのだろうか。実はそうではない。
基礎年金底上げに1兆~2兆円、生活保護ならそれ以上
なぜならば、底上げをせずに基礎年金の所得代替率が下がると、前述のように、高齢の生活保護受給者がそれだけ増えることとなり、それに伴い増加する生活保護給付のための追加的な税負担が必要となり、その税負担から厚生年金受給者も逃れられないのである。他人事では済まされない。
厚生年金加入者も基礎年金の所得代替率が上がるということは、それだけ基礎年金に投じられる税財源も増えることになるのは事実である。厚生労働省が示した試算では、この基礎年金の底上げのために将来必要となる税財源は年に1兆~2兆円という。この財源のメドを、与党も立憲民主党も示していないとの批判がある。
とはいえ、現行制度のままだと高齢の生活保護受給者が増えて、そのために必要となる追加の税財源は、年に1兆~2兆円では済まないことを示唆する研究結果もある。現行制度のままだからといって、もっと必要となると見込まれる追加の税財源のあては何も示されていないのである。
ただ、厚生労働省内でも、生活保護制度は社会・援護局、公的年金は年金局と縦割りになっており、生活保護給付の将来推計を公式に示されたことがない。政府は両制度で必要な将来の税負担を整合的に示すことが求められる。
今通常国会で審議されている年金制度改革法案に盛り込まれた基礎年金の底上げ案は、成立すれば必ず実施されるというものではない。2029年の次期財政検証で基礎年金と報酬比例部分のマクロ経済スライドの調整期間に著しく差異が生じた場合に必要な法制上の措置を講じるという規定となっている。
経済成長ケースなら底上げ不要
2024年の財政検証における成長型経済移行・継続ケースでの所得代替率は、基礎年金2人分は2037年度までマクロ経済スライドが発動されて32.6%に、報酬比例部分はマクロ経済スライドは一切発動されず25.0%になり、両者合わせて57.6%となる見込みである。
このように、過去30年投影ケースよりもよい経済状態で推移して成長型経済移行・継続ケースに近い経済状態になり、このような所得代替率ならば、前述したような基礎年金の底上げ案を実施するまでもなく、それなりの所得代替率を維持できる。
もちろん、年金財政に関して楽観は許されるわけではないが、公的年金制度と生活保護制度を横断的に見通しながら、老後の所得保障の仕組みを考えていくことが必要である。
土居 丈朗:慶應義塾大学 経済学部教授