「だってたくさん再生されていたから…」新聞、テレビの選挙報道を信じない老女が「SNS情報」にのめり込んだ末路

――参議院選挙を前に、日本新聞協会は、メディアが公平性を過度に意識せずに、選挙期間中も積極的に報道するという声明を発表しました。背景には、不正確な情報によって選挙結果が左右される状況があるようです。
そもそも論として、ぼくには、オールドメディアと呼ばれる新聞や、テレビの報道は本当に公平だったのか、という疑問があります。
新聞やテレビが主に取り上げるのは、主要候補者ばかりです。確かに、主要政党の候補者をあつかう場合は、同じ行数の記事にしたり、同じ時間を使って取り上げたりして公平を意識したのでしょう。いえ、意識せざるを得なかった。そうしないと政党からクレームが入りますから。一方で主要候補者以外は、せいぜい名前や肩書、年齢くらいで、主張や政策を丁寧には伝えてこなかった。
とはいえ、それが間違いだと言っているわけではありません。各メディアによって、それぞれ報道のあり方や方針があります。そうした大手メディア以外の情報があったほうがいいだろうと考え、ぼくは「候補者全員に接触」を信条に選挙取材を続けてきました。
日本新聞協会の声明で注目したいのが、後半の選挙期間中も積極的に報道するという箇所です。裏を返せば、選挙期間中にもかかわらず、逆に選挙についての報道が減っているということです。
――それは、なぜなのでしょうか。
わかりやすい例が、昨年11月の兵庫県知事選です。選挙前、新聞やテレビは、斎藤元彦知事の批判を散々報じました。しかし県知事選が告示されるとパタッと批判しなくなった。それは、大手メディアが選挙に影響を与えるような報道を控えたからです。
加えて、新聞やテレビは、確かな情報だとしても、一度報じたニュースは基本的に繰り返しません。そこが、兵庫知事選で、オールドメディアが、SNSやインターネットに敗北した原因です。
兵庫県知事選を取材中に知り合った70代くらいの女性有権者がこんなことを話していました。
「オールドメディアは、自分たちにとって都合のいいことばかりを言っている。選挙前はあんなに斎藤さんを叩いていたのに、選挙に入った途端にメディアは何も言わない。斎藤さんが正しいから何も言えなくなったんでしょう」
NHK党の立花孝志さんは、元県民局長の不倫などを主張しましたが、オールドメディアは取るに足らないこととして放置したせいで、不確かな情報がどんどん拡散してしまった。
SNSやインターネットでは不確かな情報や、明らかなデマでも面白かったり、刺激的だったりすれば、何度も何度も投稿され、拡散されていく。記者が裏をとった確かな情報が、デマに押し流されてしまう。短い選挙期間中にデマを糾していくのは限界があります。その結果、投票の参考にすべき正しい情報が有権者に届かなくなってしまった。
オールドメディアは、これまで通り正しい情報を読者や視聴者に伝えるのが自分たちの役割だと疑いもしていなかった。SNSやネットの言説が、選挙結果を左右することはないだろうと軽視していました。しかしSNSやネットが選挙に強い影響を与えるようになり、メディアとしての役割を果たしきれなくなった。
兵庫県知事選で出会った女性に、ぼくはこんなふうに聞いてみました。
「オールドメディアは信じられないのに、なぜ、立花孝志さんが発信するSNSやネットの情報は信じられるのですか?」
ぼくの問いに対する答えが「だって、ものすごく再生されているじゃないですか」。
――信じる根拠が再生回数ということですか?
そうです。その女性に対して、ぼくはこう話してみました。
「86人の県議全員が信任しなかったんですよ」
「そうでしたよね……」と女性は一瞬考えたあと、こう続けました。「期日前投票で斎藤さんに投票しちゃいました」
彼女は、周りの人と政治や選挙について話す機会はないとも言っていました。選挙期間が短いから立ち止まって冷静になる時間もない。政治について会話しないから、ほかの人の意見を聞く機会もなかった。結局、オールドメディアに不信感を持っていた彼女はSNSやネットを信じるしかなかったんです。それは彼女だけではなかったはずです。その危機感のあらわれが、日本新聞協会の声明だったのではないでしょうか。
――SNSやネットが選挙に影響を与えるようになったきっかけを教えてください。
それはコロナ禍です。
組織や政党の支援を受けた候補者も、支持者を集めた政治活動や、街頭での選挙運動が制限されました。結果として候補者が戦えるフィールドがネットへと移行していきました。しかも、ネットは、選挙活動のハードルを下げました。
これまでは有権者は、街頭演説に足を運んでビラを配ったり、演説の手伝いをしたりして候補者を応援してきました。しかしネットはそうしたハードルを取っ払った。指先1つで、支持を表明できるわけですから。
選挙におけるSNSやネットの台頭を如実に示したのが、2023年の愛知県知事選です。
6人の候補者が出馬しましたが、衝撃的だったのが6番目だった候補者が8万8981票も獲得したこと。最下位の候補者が、東京ドーム約2杯分の有権者の支持を集めるような知事選はこれまで記憶にありません。従来のように、情報源が新聞やテレビだけだったら、こんな数字にはならなかったはず。最下位の候補者にこれだけの票が集まったのは、有権者がネットで情報を集めて投票の参考にしたからです。
となると、候補者もネットでの選挙活動に力を入れるようになり、言動や主張が過激化していく。そして兵庫県議会で、全会一致で不信任を突きつけられた知事が、SNSやネットで支持を集めて再選するという現象が起きた。候補者たちはその流れを見ているので、ネットでの活動がさらに過激化していく――というのが、選挙の現在地です。
――「候補者全員に接触」を信条とする畠山さんにとっても、不確かな情報をどう報じるのか、とても難しいように思います。
確かに、そこがとても難しい。
たとえば、史上最多の56人が立候補した昨年の都知事選では、木宮みつきさんがゲサラ法を実現させると主張しました。
――ゲサラ法ですか? なんですか、それは。
ぼくだけではなく、木宮さんの出馬表明の記者会見に出席した記者は、みんな困惑しました。
木宮さんによれば、ゲサラ法とは人類史上はじまって以来の徳政令で、すべての国民の借金、住宅ローン、カードローン、教育ローンなどを帳消しにする法律だそうです。ぼくはその財源はどうするのか質問しました。
木宮さんによれば、ディープステート(陰謀論のひとつで、国家の意思決定に影響を及ぼす闇の政府)によって奪われた金塊がみずほ銀行にあるそうです。
ぼくは『選挙漫遊記』で〈それは初耳です!〉と書きました。しかし選挙が壊れつつある現状を踏まえるともっと書きようがあったのではないか、そんなことは有り得ないとはっきりと読者が分かる表現にすべきだったのではないか、と反省しました。
兵庫県知事選でもそうですが、デマをデマだとはっきり否定しなかった結果、不確かな情報が広がって選挙に影響を与えてしまった。
木宮さんのケースで言えば、〈それは初耳ですね。何か証拠はあるんですか〉と聞き、彼女から〈証拠はありません〉という答えを引き出すまでを書くべきだったのではないか、と。
でも、その点では、オールドメディアの記者のほうが、悩みが深いかもしれません。フリーランスのぼくに比べると、新聞やテレビのほうが切り捨てなければならない情報や、無視しなければならない話が多いんです。
テレビ局や新聞社の記者がヘイトスピーチや陰謀論について語る候補者の第一声を取材したとします。番組では、陰謀論の部分をカットして、短く編集した映像を放送する。またはヘイトスピーチばかりでは記事にできないから、紙面に載せられるエピソードだけで記事を書く。
そうすると陰謀論を信じて、差別発言ばかりしていた候補者の記事や映像がまともなことを話しているように見えてしまう場合があるんです。しかも若くて見た目がシュッとしていると爽やかな候補者が組織などの後押しもなくて、1人でがんばっているというイメージがひとり歩きしてしまう。
だからこそ、いま、選挙報道には、記者の主観が求められていると感じます。公平な報道をどんなに意識したとしても、どうしても記者の主観は入ります。だとしたら、現場で取材した記者が、思いや感想をどんどん署名入りで発信していく。
文句を言われたり、クレームを付けられたりすることもあるでしょう。でも、そこに向き合うのが、言論の自由であり、記者やメディアの責任です。何よりも、それが、壊れかけた日本の選挙を救う方法なのではないでしょうか。(後編に続く)
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(フリーランスライター 畠山 理仁、ノンフィクションライター 山川 徹)