歌舞伎俳優の片岡我當さん死去、90歳 5月11日に肺炎のため 片岡仁左衛門の兄、立役で活躍

歌舞伎俳優の片岡我當(かたおか・がとう、本名片岡秀公=かたおか・ひできみ)さんが5月11日に肺炎のため都内の病院で死去していたことが17日、分かった。松竹が発表した。90歳。東京都出身。

すでに密葬を執り行い、弔問、香典、供花は辞退する。

我當さんは十三代目片岡仁左衛門の長男。弟は二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門。1940年10月大阪・歌舞伎座「近頃河原の達引」のおつるで片岡秀公(ひできみ)を名乗り初舞台。1971年2月大阪・新歌舞伎座「二月堂」良弁大僧正、他で五代目片岡我當を襲名した。

朗々たるせりふ回しに、スケールの大きな舞台姿、そして本人の観実な人柄を映す滋味にじむ演技で、立役として上方歌舞伎から江戸歌舞伎まで幅広い役どころを勤めてきた。

父・十三代目片岡仁左衛門から譲り受けた「近頃河原の達引」の猿廻し与次郎、「沼津」の平作、「新口村」の孫右衛門などは、素朴な人となりに情がにじみ、「仮名手本忠臣藏 九段目」の加古川本藏、「熊谷陣屋」の弥陀六、「輝虎配膳」の長尾輝虎などでは、役の複雑な性根を表現。義太夫狂言への造詣を活かした。

若い頃、二代目尾上松緑に師事したことで江戸の荒事を学び、「車引」の梅王丸なども演じた。上方歌舞伎の継承に熱心に取り組み、「上方歌舞伎会」などで上方の若手俳優の指導にも尽力した。また、長年にわたり関西における学生を対象とした「歌舞伎鑑賞教室」を行い、裾野拡大にも尽力した。

最後の舞台は、2020年2月歌舞伎座における十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言「八陣守護坡」佐藤正清。