“うさぎの島”が抱える問題…地元小学校が放った16匹が現在は500匹以上? DNA解析を実施

瀬戸内海に浮かぶ“うさぎの島”こと大久野島(広島県竹原市)。このたび生息するうさぎ達のDNA解析が行われた。
現在は500羽以上のうさぎが生息し、日本だけでなく世界中から観光客が訪れる。昭和初期には毒ガス工場が存在し、実験用としてうさぎが飼われていたことが知られているが、現在生息するのは1970年に地元の小学校が放った16匹が増えたものだとされている。果たして数百匹に増えたうさぎ全てがそれらの子孫なのだろうか。DNA研究を行った福島大学共生システム理工学類教授の兼子伸吾さんに話を聞いた。
――研究を始めたきっかけは?
兼子:絵本作家のたてのひろしさんから「大久野島に、かつて実験動物として使われていたうさぎの子孫は生き残っていないのか?」と問われたことです。
大久野島のうさぎは、人が触ることを禁止されています。そのため私たちの研究室では、島内に落ちている糞からDNAを採取。人の親子鑑定などにも使われる遺伝子の配列の違いを比較する方法で、遺伝的な関係や多様性を調べました。
――結果は?
兼子:1970年に放たれた最初の16匹だけでは説明できない、多様な家系が検出されました。つまり最初に放たれた個体以外に、たくさんのうさぎが大久野島で捨てられていたことを示しています。毛の色も様々で、その割合が入れ替わったことも知られていたので、予想通りの結果でもありました。ただ家系の入れ替わりは、予想以上に高い頻度で起こっているようです。
うさぎが島に放された直後は島に生える植物を食べ増えたはず。そして、島に生育する植物だけではエサが不足し増えないはずです。観光客がエサを与えるために、現在のように沢山のうさぎが生息することになったと考えられます。
――現在の問題点は?
兼子:戦争の歴史や記憶の継承は大久野島においてとても重要な課題だと思いますがという点でも、戦争遺構や化学兵器関連施設跡地として保全が十分とは言えません。観光地としても、施設の老朽化や来訪者数に対してのインフラ不足もあります。観光の目玉となっているうさぎについても、管理組織が無く、その数や状態がコントロールできていません。これらの問題が複雑に絡まる状況なので、困難ですが総合的な解決を目指すことが必要です。
――結果を受け感じたことは?
兼子:来歴についてデータを示すことができたのは、大久野島の今後を考えるために意義があったと思います。様々な問題の元を辿れば、誰かが良かれと思ってやったこと。当時の決定を責めるのは止めて欲しいです。
その上で、様々な立場の人々が集まり問題解決について考えて欲しい。立場によって見え方は違うはず。客観的なデータなどを丁寧に積み上げ、対策や実行に必要なものを示すことが、事態改善への第一歩です。絵本『うさぎのしま』や我々の研究結果が、考えるきっかけになればと思います。
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SNSでは「正しく知ることは問題解決の第一歩である」「沢山うさぎがいる島という知識しか無かったので興味深い」「やはり正しいものではないのだな」などの反応が見られた。観光地としての島の在り方を再考したい。
(よろず~ニュース特約・米田ゆきほ)