※本稿は、河井あんり『天国と地獄 選挙と金、逮捕と裁判の本当の話』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
公認の下りたのが2019年3月中旬であったので、すぐに4月の統一地方選挙が訪れてしまって、私は当面、なんの活動もできない(法律で、自分が出る予定のない選挙が行われている間には、活動をしてはいけないことになっているのだ)。
統一選には私の親しい先生たちもたくさん出ているから、自分の活動ができない代わりに私は、それぞれの選挙事務所に陣中見舞いに行くことにした。選挙事務所には地域の選挙好きな人が集まっているから、自分自身の顔見せという意味にもなる。
この陣中見舞いの際、4名の県議の先生たちに見舞金を持って行ったことで、のちに私は逮捕されてしまった。
このことについて、何をどう言えばいいものか、先ほどから私は考えあぐねている。今まで通り事実だけを述べるつもりであるが、私が何を言っても言い訳がましく、また真実でないように聞こえてしまうのではないかと恐れている。だが、ありのままを述べるのが私の責任である。
一般的な話として、少なくとも自民党の国会議員が、親しい候補者に対して手ぶらということは考えられない。だいたい国会議員が持っていく金額は10万円以上、色をつけて30万円が相場であろうか。
私はまだ国会議員でもないのに、県議の先生たちに、見舞金を持っていかなければ悪いような気がしていた。私は完璧に業界の常識に染まっていて、全くもって感覚が麻痺していた。本当に申し訳ない。だからまず、どうして私の感覚がズレるに至ったかを話さなければならない。
議員同士では、お金のやり取りは頻繁に行われる。国・地方問わず、先輩議員は後輩議員に対して、夏には氷代、冬には餅代として現金を供与する。お金は通常、小さめの白無地の封筒に入れて渡される。
また、もう廃止されたから申し上げるのであるが、おそらく政治活動費が原資だったのであろう、私が参議院に入った直後、自民党の参院議員会長から所属議員一人ひとりに、現金の支給があった。私のような初当選直後の何も活動を始めていない1回生でも50万円である。これに領収書は取られなかった。
だいたい、国会議員はしょっちゅう政治資金パーティを開いているから、彼らはお互いに会費を出したり、受け取ったりしている。地方議員の間でも、何かの会を開いたとき、選挙の応援に駆けつけたとき、お金のやり取りがある。先輩議員が後輩を連れて行って食事をするときに、割り勘ということはありえない。その後輩も、自分が先輩になれば後輩に自由に飲み食いをさせる。
お金は一つのところ、一人のところに留まるというよりも、水が循環するように、ぐるぐるとお互いの間を回っている。お互いに権威を示し求心力を高めるため、人間関係があるところに現金は回遊している。
さまざまな戦いの場でお金が飛び交うこともある。
例えば、広島県議会では、議長選挙の際に、大金が行き交うと聞いたことがある。広島県知事選や参院選のときには、誰それが2億使った、とか、3億使った、などという話も囁かれてきた。今でも広島県政界からは、国会議員が選挙区支部長に就任するために地方議員に数千万円を渡している、といった噂がまことしやかに流れてくる。
具体的な話が出たのは、知事を務めておられた藤田雄山氏のパーティ券収入の過少申告問題が発覚し、知事の秘書が起訴されたときのことである。公判で読み上げられた検察の調書の中でこの秘書が、「計上しなかったパーティ券収入は、プールして、少なくとも過去2回の知事選挙の際に、自民党広島県連へ数千万円を『上納金』として納めたほか、2億円から3億円という金を地方議員らの買収に使った」と述べていたのである。
このとき広島県内は上を下への大騒ぎになったが、検察はこの自白を黙殺して事件化しなかったので、真相はいまだ闇の中である。
このような話を面白おかしく聞いているだけで、議員同士でお金をやり取りすることについて、私たちの感覚は完全に麻痺していくのだった。
私がこの年の統一選で、陣中見舞いや当選祝いとして現金を持参した相手は、親しい議員や、私自身が弁士として応援にお邪魔した候補者であった。この先生たちには、かえって大変なご迷惑をかけてしまった。
夫と私の裁判では、多くの先生方が、私たちに金を無理やり渡された、という証言をされた。確かにすぐに返金された方も中にはおられたが、大半の場合、無理やりということはありえない。これは慣習だから、お互いに了解の上である。お金をスマートに渡し、スマートに受け取る、ということが、洗練された議員の証左とされている。
あのとき陣中見舞いを渡すことで、私は自分の選挙に有利になると考えていただろうか。信じてもらえないかもしれないが、私は、選挙がお金で解決できるものとは考えていない。自分自身が受け取ってきた時も、お金をもらったから票を入れよう、というふうには考えてこなかった。
私は知事選挙という全県選挙をすでに戦っているから、広い選挙区でお金を撒いたところで、どうにかなるものではないことを一番よく知っていた。それは砂漠に水を撒くようなもの、全くの無駄な行為なのである。だいたい、票を得るということは心をいただくことであり、お金を渡す程度のことで票が入るものではない。
つまり、選挙の世界で、陣中見舞いは一種の儀礼に過ぎない。政治の世界はどこかやくざめいたところがあるから、儀礼を果たさなければ、挨拶がない、などと言われかねない。そのために選挙とお金は切り離せないものとなっている。
誤解なきように言っておくが、お金を配ることそれ自体は今の法律で違法とはなっていない。県連から政治資金管理団体へ、政党支部から政党支部へ、などの形で領収書を切りさえすれば、そのお金は体裁が整えられて政治資金となり、違法性を問われないとされてきた。
自民党京都府連でも選挙前に選挙買収の告発があったが、京都地検がこれを不起訴にしたのは、体裁が整えられていたことと、罰しようとすれば京都の自民党全体が崩壊して影響が大きすぎるから、政治的配慮をしたのであろう。
しかし、検察は法を恣意的に運用するから、領収書があっても、彼らが有罪にしようと決めれば、捕まってしまうこともある。
東京の江東区長選挙の前に行われた、柿沢未途衆議院議員から区議会議員への現金供与は、江東区議会議員選挙の際の陣中見舞いとして行われた。ご本人の認識において、その趣旨は地盤培養行為である。
柿沢氏は領収書を切っていたから、それまでの法の解釈に則れば、本来、罪に問われない。しかしこのケースでは買収とみなされ、柿沢氏は逮捕され、のちに有罪となった。一方、宮沢洋一氏や溝手氏は、私が立候補した2019年7月の参院選の前に、地方議員に現金を渡しておられた。
例えば宮沢洋一氏は、10名以上の議員に対し参院選前に現金を渡したが、それが表に出ると危ないとして、領収書の期日を11月に変更し、選挙後に渡したように装っている(2020年12月24日付『中国新聞』)。だが柿沢氏のケースと異なり、検察はこれを不起訴処分とした。
柿沢氏と宮沢氏の違いは何なのだろうか? はたまた、京都府連との違いは?
私は自分が捕まるまで捜査機関の公平性を信じる思いが強かったが、実際には公訴権は捜査機関上層部の一存で発動されるものであり、そこに公平性など存在しない。法治国家であるのに、同じ行為をしながら検察の裁量によって罪に問われたり問われなかったりする。恐ろしいことである。しかし、グレーゾーンの行為だからそういうことが起きうるのだ。
私は、公選法を改正して、選挙前の寄附行為そのものを厳しく禁止すべきだと思う。それが結果的に、捜査機関の恣意性から一人一人の国民を守ることとなるだろう。
それに、同じ選挙前の寄附行為であるのに、領収書を切ればOKとか、政党支部への寄附ならば買収にあたらない、というのは、会計上の手法として合法ではあるが、有権者の冷静な眼には、いずれもマネーロンダリングと映るのではないだろうか。結局、国民が問題視しているのは、政治家が人間関係をお金で解決しようとしていることそれ自体なのだ。
選挙前の寄附行為自体を禁止する方が、物事を単純化できて分かりやすくなると思う。もっとも、衆議院選挙はいつ行われるか分からないから、結果的にこれは、政治家間の金の流れを厳しく制約することになる。だが、グレーゾーンをできるだけ小さくするという意味において、私はそれもやむを得ないと思う。
永田町の先生たちには、ぜひ、私の哀れな姿を見て、同じ轍を踏む者がこれ以上出てこないよう、法改正をしていただきたいと思う。
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(元自民党参院議員 河井 あんり)