「玉木雄一郎首相」を自民が担ぐ…あり得るのか 自公連立に国民民主が加わる可能性とリスク

「石破続投」をめぐる政局の混乱は、2025年7月28日の自民党・両院議員懇談会後もしばらく続きそうだ。衆参両院の「少数与党内閣」が、どこまで続くのかも、見通せない。そんななかで、「国民民主党の玉木雄一郎代表を首班に担ぐ」という話があちこちから聞こえて来る。自民党内には、それでいいという議員が多いなどという話がまことしやかに伝わり、週刊誌が取り上げたりしている。しかし、連立はそう簡単ではない。実際には、いくつもの高い壁が立ちはだかっている。
世論調査では連立への期待感がある
朝日新聞の世論調査(26、27日実施)では、「石破首相は辞める必要はない」が47%を占め、自民・公明に「野党が加わる」連立政権への期待感が56%に上っている。ただ、出自の異なる複数の政党での連立政権の構築作業は簡単でない、選挙区や政策の調整をはじめ、とくに政権党との協議には、様々な難問が横たわる。
朝日調査では「石破首相は辞めるべきだ」が41%と下回った。「自民全体に問題がある」が、自民党支持層でも81%を占めた。一方で、野党政権による政権交代を望む回答は21%しかなく、自民・公明に「野党が加わる」連立政権に56%の期待が集まった。どの党との連立が望ましいか?「国民26%、立憲19%、維新12%」の順となった。
トップの国民民主党と連立する場合、首相候補は自民党でなく「玉木首相でどうか」という説が、今回もささやかれている。
自公連立では選挙区調整で「連立解消」の危機もあった
しかし、その最大の壁は、所属国会議員の「選挙区の調整」である。国民民主党も、旧民主党が12年に政権崩壊した後の分裂騒ぎの流れの末に、20年に結成された時は13人の小所帯だった。この1年足らずの衆参2回の選挙で、一気に50人近く(衆院27人)まで膨らんだ。「玉木首相」にするかは別としても、仮に「自公国」政権で総選挙に臨むとすれば、その選挙区調整をしなければならない。
自民・公明の連立政権(1999年、当初は自由党も参加)が成立した直後の総選挙(00年6月)では、両党の公認調整がつかずに、「自公直接対決」など10選挙区近くで混乱した。東京17区では、平沢勝栄氏(自民)と後に公明党代表となる山口那津男氏が対決。平沢氏が当選、山口氏はこの後、参院へ転じることになる。自公がともに落選したり、公明公認候補者を優先したため自民の公認が得られなかった候補が無所属で出馬、当選した事例などもあった。
その後、直接対決はほとんどなくなったが、連立が20年を経過しても、公認調整をめぐって「連立解消か」との騒ぎになった。選挙区の1票の格差是正のための「10増10減」では、23年に新設された東京28区で公明党側が「候補者擁立は最終決定だ」といきなり通告。受け入れない岸田首相に対して公明側が「東京の自民候補全員に推薦を出さない」と強気に出て、一時は連立解消か、との緊張が両党に走った。結局は自民候補を公認、隣の29区で公明候補を自民は推薦するなどの結末になった。「選挙区調整」は「永遠の爆弾」である。
リスクを考えるとハードルが高い
公明党が「連立の25年」で失ったものも少なくない。「平和の党」を看板としながら、14年に集団的自衛権の行使容認が閣議決定された時は、党内や創価学会に強い反対意見がありながら、容認した。「平和の党」のイメージが大きく傷ついた。今回の自民党の裏金事件や企業団体献金改革の処理もうまく行かず、「クリーンな政治」の信頼も失われ、24年秋の総選挙では8議席減の24議席に後退した。
「連立のリスク」は国民民主や野党各党にとっても想像以上に大きい。
玉木代表自身は今のところ、「約束を守らない石破政権と協力をすることはない」と連立の可能性を否定している。が、岸田文雄政権時代に、岸田氏や茂木敏充元幹事長らと、連立をめぐって水面下で接触をしてきたことは、よく知られている。自民党関係者も、国民民主党の支持層の電力総連やUAゼンセンら労働組合の票をにらんでいる。ここまで急激に膨らんだ有権者の期待が、「自民党との連立」でどうなるか、のリスクを考えるとハードルが高い。
選挙・政治アドバイザーの久米晃さん(自民党元事務局長)に連立の可能性について聞いた。答えは、「きわめて難しい」だった。
(ジャーナリスト 菅沼栄一郎)